クラウドファンディングによって設立された、サザーランドで一番新しい蒸溜所。古城の一角で働く兄弟は、伝統回帰と実験精神を見事に両立させている。 文・ガヴィン・スミス 風変わりな建物で運営される蒸溜所がある。スウェーデン北部のボックス蒸溜所は、旧発電所の建物を利用している。ダブリンのピアースライオンズ蒸溜所は、もともと古い教会だった。エディンバラにあるピッカリングのジン蒸溜所は、かつての動物病院の犬舎である。 だが窮屈で奇抜な場所といえば、この蒸溜所の右に出るものはないだろう。スコットランドのハイランド地方にあるドーノック蒸溜所は、ドーノック城のなかにある。もう用済みになった消防棟の一角に陣取っているのだ。ここで一風変わった方針のモルトウイスキーづくりを実践しているのが、フィリップ・トンプソンとサイモン・トンプソンの兄弟だ。一風変わった方針とは、アルコール収率よりもウイスキーの個性を重視していた時代への回帰である。 まだ十代だったトンプソン兄弟が、サザーランドのドーノックにやってきたのは2000年のこと。父親のコリンと母親のロスが、歴史あるドーノック城を購入したのがきっかけだった。ドーノック城は1947年以来ホテルとして運営されており、豊富なウイスキーの品揃えにも定評があった。息子たちはスコッチウイスキーについて学び始め、ビジネスの一翼を担おうという意欲が芽生えていった。 兄弟が特に惹かれたのは、1960年代から70年代にかけて蒸溜された古いウイスキーだ。情熱が高じて、いっそ自分たちの蒸溜所を建設し、当時のようなオールドスタイルのウイスキーを最高品質でつくってみようではないかという計画が生まれたのである。 2人は2016年3月にクラウドファンディングを開始し、19世紀に建てられた石造りの消防棟を本拠地とすることに決めた。3年後には250人の出資者全員にウイスキーが支給されるという約束である。蒸溜所の立ち上げには、25万〜35万英ポンドが必要だった。クラウドファンディングで調達した資金だけでなく、トンプソン兄弟は自宅を売却して資金を追加し、このベンチャープロジェクトへの本気度を証明した。 最初のスピリッツがスチルから流れ出したのは2016年12月。翌年2月よりシングルモルト用の樽詰めがおこなわれた。蒸溜所の運営は、現在わずか4人でおこなっている。全体を管理するのはヴァーリ。フィリップ・トンプソンは生産と雑用を半々でこなす。そしてもっぱらウイスキーとジンの生産に従事するのがサイモン・トンプソンとジェイコブ・クリスプだ。ジェイコブはヘリオットワット大学の醸造蒸溜学科を卒業した人物なのだとフィリップ・トンプソンが説明する。 「1960〜70年代に生産されたウイスキーのボトルをヒントにしています。あたかも古い精密機械を分解して模倣するようなリバースエンジニアリングで、昔のウイスキーのつくり方を突き止めていきました。1960年代以前のスコッチウイスキーは、設備や原料が近代化する以前の生産物であるため、現代のウイスキーと明らかに味わいが異なります。蒸溜液の個性、口当たり、トロピカルフルーツの香りなどにこだわった味わいですが、このようなオールドスタイルのウイスキーは近年非常に人気が高まっています。ウイスキーづくりは非効率な工程の連続ですが、その非効率性こそが風味をつくる鍵になるのです」 効率よりも風味にフォーカス 過去に回帰するには、原料を見直すことも必要だ。 「大麦は有機栽培のプルーミッジアーチャー種を使用して、ウィルトシャーのウォーミンスター・モルティングズ社にフロアモルティングで製麦してもらいます。個人的に思うのは、ウイスキーの生産でもっとも重要な2項目が大麦と酵母。プルーミッジアーチャー種はビール醸造化に人気の品種で、ミネラル感と酸味が特徵です。タンパク質の含有量も高いので、フレーバーづくりの幅が広げられますが、アルコール収率が低いのでコストは余計にかかります」 フィリップによると、基本的には1950~60年代の大麦品種を使用して、1950年代〜60年代の収率で生産している。セミロイター式の糖化槽が3槽あり、糖化1回分に使用する大麦原料は325kgだ。そして酵母の選択もユニークである。 「酵母を選ぶとき、ほとんどの人はフレーバーとアルコール収率の両方を重視します。でも僕たちにとって、収率はそんなに重要じゃない。とにかくフレーバーが命なのです。何十種類ものビール酵母を試して、それぞれどんな風味構成になるのか検証しました。この実験は、クラウドファンディングに参加してくれた皆さんの樽でもおこなっています。古いスコッチエールに使用されていたビール酵母などもあって種類は豊富です。酵母はすべてここで培養されています」 ヨーロピアンオーク材の発酵槽(容量各1,200L)は全部で6槽あるが、建物がこぢんまりとしているため4槽が2階に置かれている(2槽が1階)。最近のクラフト蒸溜所では長めの発酵時間が人気ではあるのだが、トンプソン兄弟の場合は規格外だ。ドーノック蒸溜所の発酵時間は7日〜10日。「ここまで長時間の発酵をすれば満足できる収率になるし、フレーバーにも優れた影響が現れるんです」とフィリップ・トンプソンが請け合う。 蒸溜設備としては、まずホーガ社のアランビック蒸溜器が2基あるが、そのうち1基は再溜釜として使用されている。ガスの炎による直火式だ。残りの1基はまだ使用されていない。フィリップ・トンプソンが説明する。 「ここにはiStill(オランダのハイブリッド型蒸溜器)があるので、1台をホットリカータンクに使用しています。2台目のiStillにはコラムヘッドが付いていて、『トンプソンブラザーズ オーガニック ハイランドジン』の蒸溜とモルトウイスキーの初溜に使っています。直火式のアランビックだと1,000Lのウォッシュを熱するのに時間がかかるので、現在初溜には速く蒸溜できるiStillを使っているんです」 伝統回帰を標榜する蒸溜所では、カットポイントも機械的ではないようだ。 「すべてのカットポイントを嗅覚と味覚で判断しています。事前に決められた数字ではなく、それぞれのバッチがどのような状態になるのかを官能的に評価してカットを決めます。目指しているのは、ヘビーでオイリーな古いハイランドのスタイル。オイリーで蝋っぽさもある1970年代のブローラから、ピートを除いたような味わいのイメージです」 ドーノック蒸溜所の年間生産量は、現在約20万Lである。 (つづく)
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ドーノック蒸溜所を訪ねて【前半/全2回】
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ドーノック蒸溜所を訪ねて【後半/全2回】
古き良き時代のウイスキーづくりを復活させるため、トンプソン兄弟の挑戦は続く。蒸溜所だけでなく、運営するバーも特別な伝統回帰と実験精神を見事に両立させている。 文・ガヴィン・スミス 効率重視のウイスキーづくりとは一線を画し、1960年代以前の風味を取り戻そうとしているドーノック蒸溜所。運営者の1人であるフィリップ・トンプソンは、使用される樽にもこだわっている。 「これまで130本に樽詰めしました。そのなかには50Lのオクタブ樽が100本ありますが、これはクラウドファンディングの出資者用です。オーガニックであることにこだわっており、バット、ホグスヘッド、シカゴにあるコーヴァル蒸溜所から取り寄せた樽も揃えました。現在の貯蔵庫は、冷凍トレーラーを改造したものです。温度管理は外気の気温まかせなのですけど」 トンプソン兄弟の挑戦は、ひとまず第1ステージを終えて大きな成功を収めている。おかげで業務の拡張が計画されているほどだ。新しい蒸溜所は、スレートふき職人の庭になりそうだという。場所はドーノック城からも遠くない。 現在クラウドファンディングの第2弾を準備中だが、今度は地域内で65万ポンドを調達しようという大スケール。この資金で新しい事業所の土地を購入して再開発し、生産量をさらに拡大して、ショップとテイスティングルームも整備する計画だ。フィリップ・トンプソンが語る。 「1口2,000英ポンドで、50Lのオクタブ樽(バーボン樽)。1口4,000英ポンドなら100Lのバーボン樽が出資者に配当されます。オロロソシェリーでシーズニングしたアメリカンオークのオクタブ樽も用意していましたが、もう完売してしまいました」 既存の設備を移動して、新しいレシーバーも導入する。だが工程はまったく変えずに、従業員の負担だけを減らすのが目標だ。 「直火式だと予熱にかかる時間が長すぎるので、新しい場所では新たにオイルヒーティングを採用するかもしれません。そうすればアランビックの初溜釜2基とアランビックの再溜釜1基という体制になります。さらには特注で鉄製の貯蔵庫を造る計画があります。現在使用している貯蔵庫と同様の環境温度を生み出せるものにします」 新しい蒸溜所での作業は、2018年の末までには始まる予定だ。フィリップ・トンプソンは語る。 「これから8〜9ヶ月は、オロロソシェリーやペドロヒメネスのモンティージャでシーズニングした樽に詰めて蒸溜所用のストックとし、新しい蒸溜所に移ったら出資者用と蒸溜所用の割合を1:1にしていこうと考えています。クラウドファンディングのときに、3年熟成のウイスキーを100人の出資者のために発売する約束もしました。その頃には、おそらく蒸溜所オフィシャルのシングルカスク製品もご用意できるでしょう。販売する製品をすべてシングルカスクの限定品にできたらいいなと考えています。ニューメイクスピリッツも少し販売しますよ」 伝統回帰を志向したドーノックのアプローチは、彼らの実験精神と見事に融合しているようだ。フィリップ・トンプソンの言葉も弾む。 「これまでに実現した面白いことのひとつは、ジェイコブがダンロビン城から調達した地元産の大麦で仕込んだこと。昔ながらの石臼と水車の動力で脱穀して、10マイルしか離れていないゴルスピーの地元産ピートで製麦したんです。蒸溜も済ませました。こんな試みはとてもやりがいのあることなので、どんどん推進していきたいと思っています」 古城バーはスコットランド屈指の人気 ドーノック城のウイスキーバーはスコットランド屈指の人気を誇り、数々のアワードにも輝いている。2014年と2016年には「スコティッシュ・ライセンスト・トレード・ニュース」でウイスキーバー・オブ・ザ・イヤーを受賞。「Whisky Base」のウェブサイトではウイスキーホテルの第1位にランキングされている。 フィリップ・トンプソンは、このバーの魅力的な品揃えについても説明してくれた。 「現在ここでいちばん古いウイスキーは、オークニーのストロムネス蒸溜所がつくったシングルモルト『OO』です。おそらく1900〜1910年のボトリングでしょう。1杯350英ポンドで量り売りしていますが、とてもお値打ちだと思っています。訪れるたびに新しいボトルがあり、いつも適切な価格で提供できるのが理想。ここで飲みたいと自分たちが思えるようなウイスキーバーにしようと頑張っています」 とはいえバーではコレクションの大きさを誇りたいわけではない。魅力はコレクションの数字ではなく質である。 「1970年代の面白いボトルがありますよ。多くがスコッチモルトウイスキー・ソサエティによるボトリングで、80年代に閉鎖されたグレンモール、グレンアルビン、ミルバーンのトリオは自慢です。ソサエティとは、現在「パートナーバー」として提携しるんです」 ジャパニーズウイスキーもかなり力を入れており、秩父蒸溜所のシングルカスク商品も8種類揃っている。 「店に置いてあるウイスキーは、全部で300〜400本くらい。オークションや個人的なルートから入手したり、年に一度イタリアで買い付けたりします。自宅には600〜700本のボトルがあって、随時店に移動させることもできます。バーでよく注文が入るのは地元のブルブレアやクライヌリッシュですが、クライヌリッシュなら素晴らしいシングルカスク商品がたくさんありますよ」 ボトルの購入だけでなく、蒸溜所から購入した樽を管理してオリジナルのシングルカスク商品もボトリングしている。 「ちょうど1989年のブナハーブンと、2005年のアイラシングルモルト(蒸溜所名は非公開)を発売したところ。ベッシー・ウィリアムソンの写真をラベルにデザインしているんです。年間に12~14樽をボトリングしていて、海外のコレクターから引き合いがあります」 サザーランドでいちばん新しい蒸溜所は、世界のコアなファンの心をすでにしっかりと掴んでいるようだ。
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愛しているなら、ほどほどに
大好きなウイスキーを味わうのは至上の喜び。だからこそ、時にはグラスから離れる時間も作りたい。ウイスキーのプロフェッショナルたちが、お酒との上手な付き合い方を説く。 文:グレッグ・ディロン 日々の喜びのためにウイスキーを購入し、大切な人たちと分かち合い、テイスティングやコレクションを楽しんでいる私たち。成熟した大人の嗜みであるからこそ、責任ある飲み方や節度を守った楽しみ方も大切にしたい。 世界的に有名なウイスキーのブランドアンバサダーたちは、言うなれば世界中の人々と一緒にウイスキーを飲むことで収入を得ている人々だ。エネルギーに満ち溢れ、愉快な時間を愛する人ほど、自分自身の健康には人一倍気を配らなければならない。飛行機の中で年間数百時間を過ごし、世界中の都市を次々と訪ねながら土地ごとの料理を食べ、不規則な生活を続ける人たちだからなおさらである。 私自身も仕事の関係でたくさんのテイスティング会を開催している。レビューや個人的探求のためにウイスキーを飲む。だがこれは仕事の一部に過ぎず、InstagramやFacebookでコミュニケーションをしているときを除けばいつもプレゼン資料の準備に没頭している。ミーティングやイベントの合間に利用する電車、飛行機、タクシーのなかでも作業は続く。 健康のバランスを守るため、私は計画的な目標を立てて実行に移している。週のうち何日かは禁酒日を設ける。これは毎日大量のアルコールを摂取しているからということではなく、15mlのサンプルを3杯飲んだ日や、ミーティングで少しテイスティングした場合も「飲んだ日」にカウントするのである。ルールを厳格に運用することで、グレンケアンのグラスと適切な距離を置く原則が守られるのだ。自宅ではスカッシュや毎日の5キロランで正気を保ち、身体を休めながらエネルギーや体重も管理する。1日約3リッターの水を補給し、毒素や不要物を排出できるように心がけている。 普段のルーティンや生活管理方法は自分次第だ。グレンフィディックのグローバルブランドアンバサダーを務めるストゥルアン・グラント・ラルフも次のように説明している。 「バランスのとれたライフスタイルを維持することには、配慮しすぎるということがありません。エクササイズ、ダイエット、体調管理、マインドフルネス、十分な休息が自分の健康維持に役立ちます。楽しく仕事しながら、成功も勝ち取れる原動力になるのです」 またグレンフィディックのブランドアンバサダーを務めるマーク・トンプソンも過去を振り返りながら語ります。 「ウイスキー業界では長らく暴飲暴食の風潮もありましたが、今では遠い過去の思い出です。スターバーテンダーたちが健康的なライフスタイルを推奨してくれたおかげで、一般消費者も飲料業界に好ましい印象を持つようになりました。注目を集めるインフルエンサーたちには、自分自身の健康を守る責任も生まれています。遊びにも仕事にも全力を尽くす時代は終わり、今ではスマートに働いて健康を維持する必要があるのです」 かつてアスリートとして国内トップレベルにあったマーク・トンプソンは、もともと身体の鍛錬が好きだった。仕事を離れたらすぐ自転車に乗ったり、ランニングシューズで家を飛び出したりするのが自然なのだ。 「仕事柄とても旅行が多いのですが、スーツケースにはいつでもランニングできるキットが入っていますよ」 正しく向き合い、長く付き合う バカルディのウイスキー部門でグローバルブランドアンバサダーを務めるジョージー・ベルは、ウイスキー業界で働く者が心身のバランスを保つ重要性を力説している。 「時にはお酒から離れること。エクササイズの予定が最優先です。週に6日はワークアウトをこなし、特に旅行中は休まないよう心がけています。飛行機で飲酒しないこと。そして週に2日は飲まない日を作ること。健康的な食事も大切なので、善玉菌を摂って昆布茶を飲むのが日課です」 アイリッシュ・ディスティラーズのマスターブレンダーを務めるビリー・ライトンは、ウイスキー業界で40年以上のキャリアがある。 「解決法はひとつではありません。ウイスキーづくりに関わっている人が、その役割の大小に関わらず、少しずつ意識を変えていくことで大きな流れが作れるはずです。大好きなウイスキーのフレーバーやアロマについて理解を深め、生産プロセスにも思いを馳せる。お酒にしっかりと向き合うことで、自分の体内に入るものについて深い関心を持つことができます」 だが祝いの席にはお酒がついて回る。新しい友達が出来たときの一体感や、旧交を温める嬉しさを増幅させてくれるのもお酒のパワーだ。ディアジオでグローバルウイスキーマスターを務めるユアン・ガンが語る。 「正しい態度でお酒を楽しむことが大切です。最高に楽しい夜は、自分自身が主体的に関与して作り出されるもの。お気に入りの服を着て、美味しいカクテルを頼んで、友人たちと生涯に一度の素晴らしい時間を共有する。楽しみながらも自制を保ち、お酒の量よりも質にこだわる。そして到着時と同じくらい粋な様子でバーを去るのが大人の嗜みです」 節度のある飲酒は、健康な身体で末長くウイスキーを楽しむのに不可欠な条件だ。だがお酒には、消費者だけでなく生産者もいる。スコットランドやアイルランドなど、世界の生産地の多くは貧しい田舎だ。酒類業界だけでなく、関連するさまざまな雇用を支えながらこの先何十年も地方の経済や共同体を維持していかなければならない。ビリー・ライトンは、我々が長らく触れていなかった側面についても語ってくれた。 「ニュースにお酒がらみの話題が登場するとき、たいていはネガティブな内容です。アルコールで問題を抱えている人々は確かに存在するし、病気、暴力、濫用などの大きな問題を引き起こしている事実も重く受け止めています。でもその一方で、アルコール飲料のポジティブな側面はあまり語られることがありません。お酒は喜びを生み出し、人々を連帯させ、祝いの席に彩りを添え、貧しい地方で多くの人々の雇用を長期的に支えています」 ストゥルアン・グラント・ラルフもまた、ネガティブな問題については正面から向き合っている。 「残念なことに、国によっては今でも節度を欠いた飲酒文化が横行しています。ウイスキー愛好家の仲間として健康上の懸念を伝えようとしても、なかなか浸透しない側面があることも事実。私はお酒のブランドを代表する者として、節度とバランスを守った消費を呼びかける責任を感じています。これからはブランドが率先してそのような機運を高めるイベントを開催する必要もあるでしょう」 それでもマーク・トンプソンは、お酒の楽しみ方がまだまだ進化できると信じている。 「我を失って、記憶をなくすような飲み方はもうやめましょう。節度さえ守れば、時折リラックスするくらい一向に構わないのですから。いつかはマラソンの前にカーボローディング用のカクテルを飲む時代が来るかもしれませんよ。まあ、そんな未来はまだまだ先ですね」
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タンニンのはたらき
ウイスキーの風味に深みを加えてくれるタンニン成分は、度を過ぎると欠点にもなりうる。イアン・ウィズニウスキが味わいへの影響を徹底検証。 文:イアン・ウィズニウスキ タンニンは、とても皮肉な存在だ。存在感を増すほど舌で確認しやすくなるが、はっきりと感知できるようなタンニンはおおむねウイスキーに好影響を与えていない。明確に存在を主張しなくとも、タンニンはたくさんの重要な働きをしている。だがタンニンの量が多すぎると渋みが増して、ウイスキーをドライすぎる風味にしてしまうのである。 加えていうなら、タンニンがもたらすポジティブな影響は、タンニンそのものの感触には現れない。むしろ風味の構造を強化したり、モルトウイスキーの骨格を支えたりといった全体的な意味合いで貢献することが多いからだ。つまりタンニンの存在を感知するより、味わいへの寄与を総体的に評価すべきものなのである。 タンニン成分は、ウイスキーの貯蔵中に樽材から引き出される。その分量の度合いはオーク材の伐採地によって異なり、また貯蔵する年数が長いほど多くのタンニン成分がスピリッツに加わる。ヨーロピアンオークがウイスキーに授けるタンニンの量は、時にアメリカンオークの数倍にも及ぶ。樽の種類は大きく2種類あるが、バーボンバレルはアメリカンオークで、シェリー樽はアメリカンオークかヨーロピアンオークのいずれかである。 樽の来歴によってもタンニンの量は変わってくる。来歴とは、つまりスコットランドで樽詰めされる以前にシーズニングしたアルコール飲料の種類や期間のこと。ケンタッキーでバーボンバレルに入れられるのはアルコール度数62.5%くらいまでのスピリッツだ。度数の高いスピリッツは、度数15%程度のシェリーに比べて樽材から引き出すタンニンの量が多い。 以上を総合すると、シェリー樽の方に多くのタンニンが残存することになるため、ヨーロピアンオークで熟成したモルトウイスキーは一般的にアメリカンオークで熟成したモルトウイスキーよりもタンニンの含有率が高い。 甘味とのバランスが命 オークの種類やシーズニング工程の違いに関わらず、モルトウイスキーの熟成でもっともタンニンが引き出されるのは最初の3年間である。その後は引き出されるタンニンの量が大幅に減少する。 タンニンの主要な特徵であるドライな感触は、甘味とコントラストをなして全体のバランスに寄与する。風味のスペクトラムで対局に位置する甘味とタンニンが拮抗することで、味わいの骨組みや構造がしっかりまとまるのだ。ロッホローモンドグループでマスターブレンダーを務めるマイケル・ヘンリー氏が説明する。 「モルトウイスキーは、最初の印象からフィニッシュに至るまで風味が変化します。この変化全体のことをウイスキーの構造と呼んでいるのですが、構造の基盤を作ってくれるのがタンニンです。タンニンのドライな感触は、舌の上でウイスキーの風味が変化していく様子を強調してくれます。ドライな味わいと他のフレーバーによる相互作用も重要なポイントになります」 ドライなタンニンが、バニラのような甘味とよく対比される。そしてドライな味わいは、熟れた果実のような風味も強調してくれるのである。 相互作用を考えるにあたって、重要なのはフィルの種類だ。フィルとは、樽がこれまでモルトウイスキーの熟成に使用された回数を示す用語。初めてモルトウイスキーの熟成に使用されるファーストフィルは、セカンドフィルよりもタンニンの含有率が高く、サードフィルと比べれば差は歴然だ。これは樽が使用される度に、タンニンの含有率を含む樽材の影響力が減少していくからである。 ただしこの減少率も各フィルの貯蔵期間によって異なるため、樽ごとに大きな差が生まれてくる。そしてタンニンの含有量だけでなく、樽がウイスキーに授ける成分全体としての影響力を検証しなければならない。マイケル・ヘンリー氏が語る。 「ファーストフィルのバーボンバレルは、豊富な甘味とバニラ香でタンニンの存在を覆い隠しています。一方、セカンドフィルやサードフィルのバレルではバニラ香や甘味が減退しているため、タンニンがむしろ知覚されやすくなるのです」 ファーストフィルのシェリーバットは12年が限界 フィルの回数にもよるが、シェリー樽熟成の際には慎重なモニタリングが必要だ。特に原酒がティーンエイジャー(13年)に近づいた樽は気を使う。インバーハウスでマスターブレンダーを務めるスチュアート・ハーヴェイ氏が説明する。 「スパニッシュオーク材で作ったシェリーバット(容量500L)は、ファーストフィルなら約12年が熟成期間の上限だと考えられています。それ以上ウイスキーを熟成すると、口をすぼめるような味が強まり、ドライな感触が度を越して、タンニンの影響が他の風味を支配してしまうからです。このようなスタイルのウイスキーは『シェリー爆弾』などと呼ばれて一部の人に愛好されていますが、それ以外の層には大雑把でドライすぎる味として受け止められます。モルトウイスキーを20〜30年熟成したいなら、最初からセカンドフィルやサードフィルのシェリーバットを使ったほうがいいでしょう」 モルトウイスキーの風味構成を語るとき、それぞれの風味が舌の上でどのように感じられるのかも重要な問題になる。要するに「口当たり」だ。グレンモーレンジィ蒸溜所長のアンディ・マクドナルド氏が語る。 「タンニンは、グレンモーレンジィらしくビロードのように豊かなテクスチャーを加えてくれます。さらに液体の粘度を強調するはたらきもあるので、常にシロップのような舌触りが表現できるのです」 この口当たりの問題については、スチュアート・ハーヴェイ氏にも一家言ある。 「モルトウイスキーの口当たりは、タンニンと他の香味成分との相互作用によって決まってきます。なぜならバニリンなどの香味成分もまた口当たりに影響を及ぼすからです。モルトウイスキーに含まれるタンニンや香味成分は銘柄ごとにさまざまなのでで、モルトウイスキーはそれぞれに口当たりが異なるのが面白いのです」 ウイスキーの多様性は歓迎すべきことだ。だがタンニンの含有量がうまく計画できなかった場合はどうなるのだろう。アンディ・マクドナルド氏が答える。 「モルトウイスキーにタンニンが及ぼす影響のうち、避けるべきなのは舌や余韻に残る渋味です。ドライな感触が行き過ぎて他の風味を圧倒したら、ウイスキーは台無しになります。そんな意味でも取り扱い要注意の成分ですが、使用する樽の来歴をしっかりと把握していればタンニンの管理はさほど難しくありません」 通常の熟成や後熟にさまざまな種類の樽が使用されるようになり、熟成樽の選択はウイスキーづくりでも特に重要なポイントになってきた。スコットランド到着前におこなう樽のシーズニングも、オークに含まれるタンニンの量を左右する。アンディ・マクドナルド氏が説明する。 「例えば赤ワイン樽を使用すると、樽材に残存していた赤ワイン由来のタンニンが追加されることもあります。結局は樽の影響とウイスキーとのバランスなのですが、うまくコントロールするには変わり種の樽を最初から使わず、もっぱら後熟(フィニッシュ)に使用するのがひとつの見識です」 マイケル・ヘンリー氏はそんな実例をひとつ教えてくれた。 「当社の『インチマリン マデイラウッドフィニッシュ』は、まずバーボンバレルで熟成してからマデイラ樽で後熟したもの。マデイラ樽からはナツメヤシやイチジクなどの甘味が得られましたが、同時に舌先で心地よく感じられるドライなタンニンも加わっています。これはマデイラワインの原料となるブドウに由来するもので、甘味と拮抗してうまくバランスをとるのに役立ちました」
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ケンタッキーバーボン最前線【第1回/全3回】
空前のバーボンブームに沸くケンタッキー。蒸溜所や酒屋には、国内外から情熱的なマニアたちが押し寄せている。マギー・キンバールによる現地レポートの第1回。 文・写真:マギー・キンバール ケンタッキー・ディスティラーズ・アソシエーションの報告書によると、ケンタッキー州におけるバーボンの年間生産量は1999年の250%増しとなり、2017年だけで総額11億ドル以上の投資計画がおこなわれている。 同報告書が公表された以降も、さまざまな動きがあった。サントリーは、傘下バーボンブランドに5年で9億400万ドルという大型投資計画の実施を発表。ストリチナヤも、バーズタウンにケンタッキーアウル蒸溜所およびケンタッキーアウルパークを建設すべく1億5,000万ドルを投じる。またバッファロートレースは10年で12億ドルに及ぶ設備投資を開始しており、ルイビルのフレイジャー歴史博物館はケンタッキーバーボントレイルと提携して観光客向けのビジターセンターを建設中。このビジターセンターは、ケンタッキーバーボントレイルの公式な出発地となる予定だ。 近年のケンタッキーバーボン業界で特筆すべき現象のひとつが、熱狂的なバーボンマニアの出現である。金曜日の夜に酒屋を訪ねると、店の外にたくさんの椅子が並んでいることがある。土曜日の朝から売り出す数量限定のバーボンなどを求め、夜を徹して並ぶ人々のために用意されたものだ。 彼らが追い求めるのは、有名な「パピーヴァンウィンクルファミリーリザーブ」だけではない。例えばマニアが「BTAC」と略称する「バッファロートレース アンティークコレクション」はいつも人気の的。バッファロートレースの定番品「エルマー・T・リー」や「ブラントン」などの商品も入手が困難だ。他にもヘブン・ヒルの「エライジャ・クレイグ18年」、バートンの「1792シリーズ」、ウィレット蒸溜所の商品など、以前ならどこでも入手可能だったボトルが高嶺の花となっている。発売と同時に大勢の人々が殺到し、入手するにはくじ引きで運を天に任せるしかない状況なのだ。 さまざまな施策で需要に応えるバーボン業界 このような需要増大に対応しようと、各蒸溜所はさまざまな知恵を絞ってきた。昔のブランドが復刻され、新しいブランドが生まれ、特別ボトルが驚くべきペースで発売されている。 例えばブラウン・フォーマンは、「オールドフォレスター プレジデンツチョイス」や「ブラウン・フォーマン・キング・オブ・ケンタッキー」などの旧ラベルを新発売。それだけでなく、アメリカンモルトウイスキーの復活を望む消費者の声に応えて「ウッドフォードリザーブ ケンタッキーストレートモルトウイスキー」もリリースした。 またワイルドターキーは俳優のマシュー・マコノヒーとコラボして、マシューの故郷テキサスにちなんだ「ロングブランチ」を発売。さらにクラフトディスティラリーの最前線を走るケンタッキー・ピアレス蒸溜所では、ヘッドディスティラーのケイレブ・キルバーンが「シングルバレル ライ」のシリーズをリリースした。同じくクラフトディスティラリーのウィルダネストレイル蒸溜所は、初めてウイスキーを樽入りの状態で発売。プライベートバレルのセレクションは州内の酒屋にも展開されている。ルイビルの酒屋「リカーバーン」のシニアディレクターを務めるブラッド・ウィリアムズが、現在の状況について説明する。 「バーボンが成長を続けている今、酒屋の仕事にも変化がありました。あらゆるバーボン関連商品に極めて高い需要があるので、棚に並べておけば勝手に売れてしまいます。ウイスキー自体はもちろん、バーボンをテーマにしたギフトや食べ物なども飛ぶように売れるんです」 だがその反面、ケンタッキー州の酒屋は難しい問題にも直面しているという。 「年がら年中、休みなく希少なバーボンを手に入れるために手を尽くしています。品薄状態が常態化しており、限定品ボトルを入手する戦いは終わる気配もありません。お客様が欲しがっている商品をご用意できず、がっかりさせてしまうこともありますね」 もうひとつの困難といえば、ケンタッキーバーボンの消費者が予約購入に熱心であることだ。リカーバーンの得意客も例外ではない。蒸溜所から購入するシングルバレルセレクションは、予約購入ですぐに完売してしまう。 「ごく平均的なケンタッキーのバーボン消費者でも、予約購入や樽段階での購入が普通になりました。今ではバーボン初心者でも『当店のおすすめ』が狙いどころであると知っています。このようなアイテムは瞬く間に売れてしまうので、棚に出して1〜2時間で完売することも珍しくありません」 (つづく)
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ケンタッキーバーボン最前線【第2回/全3回】
有名バーボンブランドもクラフトメーカーも、あらゆる手を尽くして継続的な成長を目指している。ケンタッキーの現場から、マギー・キンバールが伝える最新レポートの第2回。 文・写真:マギー・キンバール バーボン人気の急成長ぶりを物語る数字なら、いくつでも挙げられるだろう。バッファロートレース蒸溜所のマスターディスティラーを務めるハーレン・ウィートリーは、最近のプレスリリースの中で次のように述べていた。 「会社を創設した1995年には、年間1万2千本のバレルに樽詰めしていました。現在の成長はゆるやかに見えますが、創業当時を振り返ると隔世の感があります。何しろ今年だけでバレル20万本分のウイスキーを生産しているのですから」 バッファロートレースは消費者の需要に応えるため、今後数年間にわたって4ヶ月に1棟のペースで貯蔵庫を新設する予定だ。 クラフトウイスキーのバーズタウン・バーボン・カンパニーも増産を続けている。2016年9月には150万プルーフガロンだった生産量が、2017年7月には300万プルーフガロン、2018年7月には680万プルーフガロンと段階的に増加した。最初の2年でこの成長ペースは驚異的といえるだろう。 同社は2017年に22種類の異なったマッシュビルを用いてウイスキーをつくり、2018年にはその数を24種類に増やして22社の顧客に供給している。ウイスキー業界から協力者を集めて、互いに学び合いながら新しい商品を創り出そうというコンセプトがユニークだ。社長兼CEOのデービッド・マンデルがその思いを語る。 「クラフトウイスキーづくりのコミュニティを称える存在でありたいと願っています。ウイスキーを愛する人々のコミュニティをひとつにつなげることが、私たちの蒸溜所の存在意義。ここでおこなわれる知識の交換によって、誰もがお互いから新しいことを学んでいけることが大切です。このようなイノベーションをひとつの場所で起こせるような環境は、今まで一度もありませんでしたから」 生産量を4倍にまで増やしながら、24種類の異なったマッシュビルを使用してウイスキーをつくるのは並大抵の事業ではない。デービッド・マンデルとエグゼクティブディレクターのジョン・ハーグローブは、バーズタウンで才能に溢れたウイスキー関係者を見出しながら、同社に成功をもたらす功労者に育ててきた。バーズタウン・バーボン・カンパニーの従業員は、平均でウイスキーづくりの経験が15年もある。 「人事採用も、生産工程も、すべて計画が肝心。数ヶ月前にスタッフの数を倍に増やしました。創立時からのメンバーと一緒に、みな協力し合いながら働いてくれています。ウイスキーづくりの休業期は、大事な研修期間に充てています。あらゆる工程のなかで、最も重要なのが計画段階。計画が適切におこなれていれば、生産はどこまでもスムーズに進行するからでます。ウイスキー生産の季節がやってきたら、経営陣が現場に出てオペレーターと付きっきりで計画を遂行します」 さらなる成長を見込んで生産を拡大 ケンタッキー州では、生産拡大中のウイスキーメーカーが他にもたくさんある。オールドフォレスターは、歴史あるルイビルのメインストリート(ウイスキーロウ)に蒸溜所とビジターセンターをオープンさせたばかり。ここは20世紀初頭からブラウン・フォーマンの事務所と貯蔵庫があった場所で、そのブラウン・フォーマンはさらに広い近代的な施設へと移転を済ませている。古い建物は煉瓦が崩れかけていたが、2007年にマリアン・ズィッカーが歴史地区を保護する「プリザベーション・ルイビル」を設立したことで、オールドフォレスター復活の道が拓けたのである。 ルイビルでもトレンディなニュールー地区では、ラビットホール・ディスティリングが「ダービーデイ」をオープンさせた。ミクターズはオールドフォレスターからメインストリートを少し下ったところにビジター体験施設「フォートネルソン」を開業予定だ。フォアローゼズは、これまで進めてきた大規模な生産量拡大計画を2018年秋に完了。ラックスロウも2018年1月にバーズタウンで真新しい1600平米の蒸溜所を建設してバーボンの生産を開始している。 ケンタッキーにあるほとんどの蒸溜所が設備を拡大するか、さもなくば設備投資を計画中である。今後ウイスキーへの関税が強化される懸念はあるものの、バーボン人気は世界で成長中。現地では将来への楽観ムードが漂っている。 (つづく)
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ケンタッキーバーボン最前線【第3回/全3回】
バーボンウイスキーの成長を後押しするため、ケンタッキー州政府も規制緩和に乗り出した。障壁となっていたのは、禁酒法時代を思い起こさせるアメリカならではの事情である。最新バーボン事情の完結編。 文・写真:マギー・キンバール ケンタッキー州のウイスキー業界は、さまざまな古い法律や規制によって縛られてきた。禁酒法以降のアメリカでは、いわゆる「高貴な実験」と呼ばれる社会運動から道徳的に厳格な法律(通称ブルーロー)が次々と成立した経緯がある。女性をバーから遠ざける条例、よく冷えたビールの販売を規制する州法、一切の酒類販売を禁止する郡(ドライカウンティ)の存在など、ブルーローの例は現在もまだたくさんある。 ケンタッキーの蒸溜所は、2016年まで訪問者にお土産用のミニボトルを販売することができず、現地でカクテルを提供することも禁じられていた。ツアー中に提供できるお酒は、試飲用の1オンス限定という規制が敷かれていたからである。それが現在、ケンタッキーの蒸溜所は来客1人1日あたりに最大4.5Lのアルコール飲料を販売できるようになり、バーの営業許可を取得すれば蒸溜所内でドリンクも提供できるようになった。 ケンタッキーにある蒸溜所の多くが、この規制緩和の利益に与ろうと蒸溜所内にバーを併設した。ジムビームの「ジムビーム アーバンスチルハウス」では、毎週金曜日と土曜日の夜にクラフトカクテルを提供。メーカーズマーク蒸溜所内には、フルサービスのレストランバー「スターヒルプロビジョン」ができた。さらにコッパー&キングズは、ルイビルのブッチャータウンにある蒸溜所で屋上バー「ALEX&NDER(アレグザンダー)」を開業している。 そしてバーズタウン・バーボン・カンパニーでは、地元のフードムーブメントと提携してさらに一歩踏み込んだ展開が見られる。アルコール飲料をその場でドリンクとして提供するのはもちろん、最近成立した法律を追い風にビンテージスピリッツの販売も手がけているのだ。蒸溜所内に最近オープンした「ボトル&ボンド・キッチン」ではクラフトビール、ワイン、カクテルなどのフルメニューを提供し、評論家のフレッド・ミニックが厳選した多彩なビンテージバーボンのコレクションも楽しめる。 規制緩和でビンテージスピリッツ市場も拡大 州内で施行されたいわゆる「ビンテージスピリッツ法」の効果で、「ジャスティンズ・ハウス・オブ・バーボン」という名のユニークな施設も誕生した。ウイスキーの小売りをしながら、ビンテージスピリッツの博物館としても機能するケンタッキーの新名所だ。共同創立者のジャスティン・トンプソンが語る。 「来場者がどんな反応をしてくれるのか、実際に博物館を開業するまでまったく予想できませんでした。でも今はホッとしています。禁酒法以前のウイスキーから直近10年のクラフトバーボンまで、あらゆる年代の多彩なボトルを皆さんが熱心に見学しています。この博物館で語られるストーリーに、現在の商品を結びつけてもらえるのは大きな喜び。バーボンの歴史を視覚的に伝える素晴らしい形を提示することができました」 トンプソンによると、訪問客の3分の2は州外からやってくる。これもバーボンに関心の高い旅行者と自分たちの情熱を結びつけた成功の証しなのだとトンプソンは説明する。 「いつから開館していたの?とよく質問されます。おそらく5年から10年くらい前だろうと推測していた人たちが、2018年の2月に開館したばかりだと聞くとびっくりしますよ。そんなお客様には、観光を後押しする法律のおかげで開館に至った経緯を教えてあげます。生産を終了した古いウイスキーをその場でテイスティングしたり、自宅に持ち帰ったりできることは、究極のバーボン体験を完結させる最後のワンピースでした。それがこの場所でようやくできるようになったのです」 ケンタッキーの酒屋チェーン「リカーバーン」のブラッド・ウィリアムズも、「ビンテージスピリッツ法」による着せ緩和をより大規模な販売戦略に活用している。 「ケンタッキーでビンテージスピリッツ法が整備されたことは、バーボン業界にとっても大ニュースです。自分が保有しているビンテージボトルを売りたい消費者ががいれば、ビンテージスピリッツの試飲や特定ボトルの調達を依頼してくる消費者もいます。目下、店舗用のビンテージ戦略を立てている最中です」 ケンタッキー州で定められた3つ目の新法は、世界中のバーボン愛好家にさまざまな可能性を広げてくれる内容だ。2018年6月1日、ケンタッキー州知事は「国境なきバーボン法」と異名を取る下院法案400号に署名。この法令により、ケンタッキー州のウイスキーメーカーと酒屋のオーナーは、互恵協約を結んだ他州(現在7州)にバーボンを出荷し、その対象を外国にも広げることができる。ジャスティンズ・ハウス・オブ・バーボンのジャスティン・トンプソンが語る。 「この出荷法の強みを活かす方策はまだ具体的に始めていません。出荷対象も7州に限られているので、実際の行動に移すまで数年くらいかかると思っています。でもジャスティンズ・ハウス・オブ・バーボンは、ビンテージスピリッツを外国市場に出荷する最初の酒屋になりますよ。国境を越えて出荷できるようになった今、米国内よりもむしろ世界を視野に入れて販売しない手はありませんから」 リカーバーンの来店者にも朗報がある。互恵協約を結んでいる7州の居住者であれば、新しい「国境なきバーボン法」の恩恵に預かることができるのだ。ブラッド・ウィリアムズも新しいサービス提供を開始している。 「ウェブサイトで、Eコマースのプラットフォームも用意しました。協約を結んだ州内に居住するお客様なら、商品の発送を承ることができます。配送による販売は、今後のビジネスのあり方を大きく変えていくことになるでしょうね」 ケンタッキー州は、ウイスキー業界のさらなる隆盛に必要な策を講じている。ウイスキーメーカーに将来の計画を訊ねると、市場の成長について明るい見通しを語る人ばかりだ。ケンタッキー州のバーボン業界は何年も前から大きな波に乗っており、その勢いが弱まる兆候はまったく見られない。
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シェリー樽の長い旅【第1回】
ウイスキーファンにはおなじみのシェリー樽熟成。香りや味わいは識別できても、その歴史や工程の詳細は意外なほどに知られていない。シェリー樽の謎を紐解く旅に出よう。 文・写真:クリストファー・コーツ シェリー樽とは何か。シンプルな問いだからこそ、答えも無数にある。だがその答えにも、ひとつとして単純でわかりやすいものはないだろう。 世界中で広く畏敬の対象となり、謎めいた流行の味わいとして認知され、魅力的な琥珀色を見せつけ、英国風クリスマスケーキのフレーバーをウイスキーに授けるという特別な樽。ウイスキーをシェリー樽で熟成することには、受け取り方によってさまざまに異なった意味合いがある。 オーク材の種類、樽の形状、独特なソレラシステム、シーズニングの作法。シェリー樽の世界を理解しようとしたら、それこそ膨大な要素を考慮に入れなければならない。数世紀に及ぶ長い歴史もあるし、その歴史を語る上で避けては通れない近年の規制も理解したほうがいい。 ここ何十年もの間、スコッチウイスキー業界の一部は、シェリー樽のウイスキーをもてはやしながら、マーケティング上の価値を高めることに苦心してきた。これがシェリー樽の漠然とした高級感のみを普及させ、その実態や一般的な知識は置き去りにされてきた。 そもそもシェリーとは? シェリー樽を神話から解き放つためには、ボデガの隅々までをくまなく探索して段階的に理解する必要がある。だがシェリー樽について理解する前に、まずはシェリーとは何かをおさらいしたい。簡単にシェリーの歴史を紐解いてみよう。 ギリシャの地理学者ストラボン(紀元前63〜23年)が著した『地理』によると、スペインのアンダルシア地方にある現在のヘレス・デ・ラ・フロンテーラ周辺地域では、紀元前1100年頃からワインが造られていたという。この説を裏付ける具体的な証拠が、最近になって発見された。ヘレスから4kmほど離れたドーニャブランカ城のフェニキア考古学遺跡で、考古学者たちが紀元前4世紀のものと見られるワイン醸造用の搾汁場跡を発見したのだ。 この地域のワインは、古くから「遠くまで輸送しても品質が落ちない」という評判があったという。ヘレスのワイン造りはその後幾世紀にもわたって大きく変化することになるのだが、この品質こそがローマ帝国各地域で広く重宝される原因のひとつだったのである。 8世紀初頭、ムーア人がスペインを征服する頃までに、アル=アンダルス(現アンダルシアの旧名)地方は優れたワインの生産地として有名になっていた。アルコールを飲むことはイスラムの教義で禁じられているものの、ブドウ栽培は500年に及ぶムーア人の支配期を通じて盛んに続けられた。ワインの一部は蒸溜されてグレープスピリッツとなり、医療用の目的に使用されていたものと考えられている。アメリカの禁酒法時代にもウイスキーが医療用として販売されていたが、人間は時代や場所が変わっても似たような企みをするものである。 実際のところ、イスラムの支配者は誰として地元のワイン生産を廃止する必要があるとは考えなかったようだ。そしてアルコールの販売は禁止されていたものの、依然として課税の対象となっていたのはどういうことだろう。後ウマイヤ朝の第2代カリフにあたるハカム2世は、宗教上の理由から葡萄の木の廃棄を命じた。しかし対象となったのは、地域の3分の1の量に過ぎない。こんなところにも、ワイン造りに損害を与えすぎないようにしようという配慮がうかがえるのだ。残りのブドウ畑が守られた理由もちょっと疑わしい。兵士たちに配給する非常食のレーズンが必要だからということになっているが、歴史家たちは本当の理由が他にあるのではないかと考えている。その理由は、みなさんがお察しの通りだ。 12世紀までにシェリシュ(ムーア王朝時代のヘレスの呼称)で産出されるワインは定期的にイングランドへ輸出され、高級品として取り扱われるようになった。そして1264年、ヘレスはキリスト教徒によるレコンキスタによってカスティージャ王国最南部の要衝となり、現在の「ヘレス・デ・ラ・フロンテーラ」という名になる。 キリスト教勢力による支配が再開すると、アンダルシアから輸出されるワインは英国で人気拡大。貿易額が増加するに従って、ヘレスの人々はワイン業界を守るために一定の公的規制が必要であると考えた。これが1483年8月12日公布の「ヘレスのレーズンおよびブドウ農家組合規則」として具現化する。地域のワイン生産工程を管轄する規則が、初めて公的文書として示されたのである。 ヘレスから英国への直接的な供給が英西戦争(1585〜1604年)によって中断されると、英国の船員たちはハプスブルク朝スペインの植民地へと向かうスペイン船に満載されていたワインを略奪するようになった。ワインはそれほどまでに価値の高い物だとみなされていたのである。フランシス・ドレーク海軍提督が1587年にカディス湾の奇襲に成功し、「スペイン王の髭を焼いた」と自賛したときにも、部隊の兵士たちはヘレスのワインが入った樽3,000本以上を略奪して国に持ち帰った。 酒精強化ワインに変貌したいきさつ 17〜18世紀になっても、英国におけるシェリー人気は拡大し続ける。その結果、ゴードン、マッケンジー、ハーベイ、ウィリアムズ、ハンバート、サンデマンなどの有名ブランドがヘレスに拠点を設立し、ワインを合法的に安定供給して本国の需要を満たそうと動き出した。ナポレオン戦争(1803〜1815年)でフランス産のワインに高い関税が課せられるようになると、スペインのシェリーやポルトガルのポートはさらに魅力的な産品として取引されるようになった。ヘレスで活動する英国資本のワイン商たちは、英国政府と交渉してシェリーに課せられる物品税の減額に成功。おかげでシェリーはますます競争力を高めたのである。 1838年までの間に、シェリーを英国へ輸送する会社は40社以上を数えるようになっていた。さらに1825〜1840年の15年間で、シェリーの販売量は4倍以上の伸びを示している。ここで重要なのは、英国が輸入したシェリーの多くがスコットランド東岸のリース港から陸揚げされていたという事実だ。この時代のリース港はワイン貿易でたいへん賑わっており、1822年に港湾組合がウイスキー貯蔵の許可を取得するとウイスキー業界における重要な役割でも知られるようになった。 同じ時期に、醸造過程でブドウ原料のスピリッツを添加する「酒精強化」(アルコール度数アップ)がシェリー生産における重要な工程となった。つまり現在のシェリーと同様のスタイルが生まれたのはこの頃である。それ以前は、酒精強化が使用されるのはワインの保存目的に限られ、ほとんどが熟成を経ないまま遠隔地の市場に輸送されていた。グレミオ・デ・ラ・ビナテリア(ワイン醸造業者組合)による厳格な規制によって、熟成したワインよりも熟成なしの若いワインが優先販売されていたからである。これはワイン農家の利益を守るための規則だったが、ワイン商にとってはワインの味が変化した際の対策が取りにくく、一貫した品質のワインを販売するのが難しいという欠陥も生み出していた。それが1820年代になって組合が徐々に解体され、最終的には廃止されたことで、有名なクリアデラとソレラによる熟成システムが開発されてくるのである。 19世紀末には、害虫のフィロキセラがヨーロッパ中のワイン畑を襲った。だが根腐れに強いアメリカ産の台木に地元のブドウ品種を接ぎ木する技術を学んでいたおかげで、 シェリーの停滞期もさほど長くは続かずに済んだ。だが大きな問題は、ヘレスのスタイルを真似た偽物のシェリーが「英国産シェリー」や「オーストラリア産シェリー」などとラベルに謳われて市場に出回ったことだ。シェリーのユニークなアイデンティティを守るため、1933年にスペインで初めてのワイン法が制定。これによって原産地呼称が公的に保護されることになり、統制委員会が設立されて「ヘレス=セレス=シェリー」と「マンサニーリャ=サンルーカル・デ・バラメダ」の原産地呼称が法的に守られることになった。さらにウイスキー業界をはじめとする第三者機関が法的に「シェリー樽」と呼べる樽の定義も、新しい分類法によって厳格に定められたのである。 (つづく)
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シェリー樽の長い旅【第2回】
シェリーには長い歴史もあるが、そのバラエティーも豊富だ。ウイスキーとの出会いは、ヨーロッパやアメリカの交易史と密接に関連している。今回はシェリーの定義と熟成について。 文・写真:クリストファー・コーツ 前回の記事では、シェリーの歴史をひと通りおさらいした。だが結局のところ「シェリー」とは何物なのだろうか。ウイスキー愛好家の皆さんには、おそらく「スコッチウイスキー」と似たような定義であると説明すればいいのかもしれない。「シェリー」も「スコッチウイスキー」も、共に特定の地域内で厳格な規制に則って生産された飲料のことを指すが、そこに特定のスタイルや風味構成などは規定されていない。 シェリーと呼ばれるには、まず約7,000ヘクタールの特定地域内で栽培されたブドウから造られたワインでなければならない。この特定地域はヘレス・デ・ラ・フロンテラ、エル・プエルト・デ・サンタ・マリア、サンルーカル・デ・バラメダ、トレブヘナ、チピオナ、ロタ、プエルト・レアル、チクラナ・デ・ラ・フロンテラ、レブリハと各所に点在している。 また原料のブドウは、統制委員会が適切であると認めた土地の上で栽培されなければならない。ブドウの生産地だけでなく、2つ目の地理的限定として「貯蔵および熟成の地域」も規制の対象となる。許されるのは、ヘレス・デ・ラ・フロンテラ、エル・プエルト・デ・サンタ・マリア、サンルーカル・デ・バラメダを結ぶ有名な「シェリーの三角地帯」の中だけだ。 3つ目の地理的限定は、マンサニージャ・シェリーのみに関する規制である。マンサニージャの熟成は、海沿いのサンルーカル・デ・バラメダのみに限られる。この地域では他のブドウ品種も栽培されているものの、パロミノ、ペドロヒメネス、モスカテルという白ワイン品種のいずれかを使用した酒精強化ワインだけがシェリーと呼ばれる。 シェリーは最低でも2年以上熟成しなければならないが、実際にはほとんどのシェリーがもっと長い時間をかけて熟成されている。熟成による変化は酸化や嫌気性微生物の働きによるもので、そんな微生物の代表がシェリーの表面に層をなすフロール酵母である。 酸化や微生物による熟成は、木樽の中で起こる。ここでウイスキー愛好家にとって特筆すべき点は、木樽が純然たる容器として使用されているということだ。ウイスキーメーカーとは異なり、シェリーの生産者は熟成工程中に樽からの影響が加わることを好まない。そのためシェリーを単一の樽で「静的」に熟成する際も、伝統的なソレラシステムで樽を移し替えながら熟成する際も、使用する樽材がワインに活発な影響を及ぼすものであってはならない。 特に避けたいのが、フロール酵母の活動を阻害してしまうタンニンだ。どんな種類のシェリーでも、タンニンを感じさせる風味要素が引き出される事態は避けている。タンニンの多いスパニッシュオークよりも、地元産の松材や栗材などが好まれる傾向が昔からあった。現在シェリーの熟成にもっともよく使用されているのは、アメリカンオーク材で造ったシェリーバットである。何世紀にもわたるスペインと南北アメリカ大陸との交易によって、使用済みの安価なアメリカンオーク材がアンダルシア沿岸まで運び込まれてくるようになったからこそ隆盛した習慣だ。 ウイスキーにはあまり使用されないソレラ樽 シェリーの生産に用いられる有名なソレラシステムは、徐々にフレーバーを集中させていくことを目的としてブレンディングを分割する工程である。一番下の列に配置された平均熟成年の長いワインが「ソレラ」と呼ばれ、そこから定期的にワインが樽出しされてボトルに詰められる。 樽は幾層にも重ねられるが、この層をクリアデラ(養成所)と呼び、各層の平均熟成年は均一になっている。年に何度か決められた時期に一番下のソレラ樽からボトリングのためにワインが取り出されると、すぐ上の樽からソレラ樽にワインが注ぎ足される。これを一番上の段になるまで順番に繰り返し、一番上の樽には最近収穫されたブドウを醸造した新しいワイン(ソブレタブラ)加えられる。一度に移動させるワインの量は、樽内のワインの3分の1を超えてはならないというルールが一般的だ。この工程は年に何度も繰り返されることが多いものの、厳密な工程についてはメーカーごとに異なり、生産するシェリーのスタイルによっても違いがある。 シェリーのボデガに新樽を導入する際は、樽の影響が出すぎないように効力を中和させて、シェリーの熟成に順応できるようにするための工程がある。この工程はとても時間がかかるので、どうしても必要な時以外は新樽の使用が避けられている。そのため樽は実際に割れてしまうまで使い込まれ、樽全体の寿命を伸ばすために樽板1枚単位で交換が繰り返される。 ボデガの樽が長寿であることを示すエピソードを紹介しよう。今回の取材で立ち寄ったサンルーカル・デ・バラメダの「ボデガ・バロン」は、約400年にわたってワインを造ってきた歴史がある。ビジターは現役で使われている古樽を目にすることになるが、オーナーいわく150年以上も使用されている樽があった。この樽の樽板は、1本の栗の木から造られたものだという。 以上の事実から推測できるように、ボデガが貴重なソレラ樽を手放すのは極めて稀なことである。したがって、スコッチウイスキーのメーカーが自社製品を熟成するために伝統的なシェリー樽を調達するのは、歴史的にみて一般的な方法ではなかった。 何年にもわたって、多くのスコッチウイスキーメーカーがソレラ樽の写真をマーケティングに使用してきた。だがソレラ樽は、疲れ果てて木の香も授けられず、産地にも一貫性がなく、しかも数が限られている。いわゆるシェリー樽熟成として多くの人に愛されているウイスキーに、このようなソレラ樽はまず使用されていないという事実を認識しておこう。 (つづく)
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富山でミズナラ樽の製作がスタート
ミズナラ樽熟成の原酒を使用したウイスキーが、世界の注目を集めている。森林資源に恵まれた富山県で、昨年末より伝統の木工技術を用いた洋樽製造が始まった。林業家、工務店、蒸留所の新しい連携をレポート。 文:WMJ 写真:チュ・チュンヨン 世界的な人気が高まるジャパニーズウイスキー。その要因のひとつに、ミズナラ樽で熟成した原酒の存在がある。日本原産のミズナラは、香木のようにエキゾチックな風味をウイスキーに授けてくれるオーク材だ。希少な味わいを求めて、一部のスコッチウイスキーやアメリカのクラフトウイスキーでもミズナラ樽が使用され始めている。 その一方で、日本のウイスキーメーカーは熟成樽の大半を輸入に頼ってきた。日本らしいユニークなフレーバーを加味できるミズナラ樽だが、調達も加工も決して容易ではない。バーボンバレルなどの輸入樽に比べて、コストもはるかに高いのが現実だ。 そんな状況のなか、富山県砺波市の三郎丸蒸留所が地元の資源を活かしたミズナラ樽の製作に乗り出した。プロジェクトを主導しているのは、若鶴酒造の5代目にあたる稲垣貴彦氏である。 山深い富山県西部の南砺市には、良質なミズナラが豊富に生育している。だが国内主要産地として知られる北海道とは異なり、海抜約800mの斜面に生えているので特殊な伐採技術が必要になる。そこで稲垣氏は、まず樽材の調達を南砺市の島田木材に依頼した。同社なら木材搬出の作業道を開設する土木技術も持っている。 島田木材常務取締役の島田優平氏が、地域とミズナラの歴史について教えてくれた。 「富山のミズナラはすべて天然で、昔は薪炭材として使用されていました。萌芽更新によって世代を受け継いできましたが、近年は需要減で放置されるようになっています。径が大きくなったミズナラは、カシノナガキクイムシの食害で赤枯れします。枯れてしまう前に適正に利用し、森のサイクルを維持することで大地の保水力も高まるはずです」 良質な水が大地を潤せば、美味しいお酒づくりにも貢献する。ミズナラ樽の製作は、そんな循環経済の実現にもつながるのだと島田氏は力説する。 富山の自然、人、歴史を体現した樽 木材の調達ができたら、次の難関は加工である。ミズナラ材は樽にしたとき他のオーク材よりも漏れやすく、特別な技術と経験が必要だ。だが幸いなことに、南砺市の井波地区には古来より木彫の伝統がある。井波彫刻といえば、宮大工から生まれた国指定の伝統的工芸品。現在も約200人の職人がこの地で木工に携わり、全国の社寺や山車に見事な彫刻を提供している。 山崎工務店の山崎友也氏は、そんな井波の職人魂を受け継ぐ大工の1人である。国内の洋樽工場を訪ねて工程を把握すると、タイヤ交換機を改造して鏡板の加工機を自作。すぐに1ヶ月で12本分の鏡板を製作し、このたびタガ締め機も導入した。今日も新しい鏡板を製作しながら樽づくりへの思いを語る。 「大工仕事は直線が中心なので、丸いものは難しいんです。でも新しい分野での自由なチャレンジを楽しんでいます。樽材の選定基準は建築よりも厳しく、かなり贅沢な使い方をします。それでも最初に良いものをしっかりとつくれば、長く使えるところが家屋と同じですね。タガ締め機が手に入ったので、いろんな種類の木材も試してみたいと思っています」 板の接合には金属や接着剤を使わず、木製のダボを使用する。樽の止水材として使用するガマも富山県産だ。島田木材は、富山のミズナラを使用したこの熟成樽を「三四郎樽」と名付けた。 清らかな大地と水で育ったミズナラを、伝統ある職人芸で組み上げたオリジナルの熟成樽。三郎丸蒸留所のスピリッツを熟成すれば、富山の自然、人、歴史を体現するようなウイスキーになるだろう。稲垣氏は、独自の樽づくりを3段階で進めていく予定だ。第1段階は、地元産のミズナラ材を鏡板にしたハイブリッド樽の製作。第2段階は、米国から調達したバーボンバレルをホグスヘッドに組み換える作業。第3段階は、側板も含めてまるごと地元産の木材を使用した新樽の製作だ。 林業家、工務店、蒸留所による「農商工連携」のモデルに、島田氏は明るい可能性を見出している。 「ダイヤモンドも磨かないと輝きません。家づくりも、山づくりも、ウイスキーづくりも、みな数十年先を見据えながら受け継いでいく事業。仕事はそれぞれ違いますが、考え方の波長が合うんですよ」 富山らしさを追求する三郎丸蒸留所 これからミズナラ樽を使用する三郎丸蒸留所は、北陸唯一のウイスキー蒸留所として進化を続けている。築90年以上という木造洋式トラス構造の建屋を改装し、再オープンしたのは2017年7月13日のこと。改修費用の一部はクラウドファンディングで賄い、目標額の2,500万円を大きく上回る3,800万円を集めた。蒸留所は一般見学も可能で、2018年には約12,500人もの訪問客を集めている。 生産設備にも、着々と投資をおこなっている。2018年4月に導入した新しい三宅製作所のマッシュタンは、味だけを追究した特別仕様だという。制御盤には北陸コカ・コーラボトリングの技術を取り入れ、品質を高めながら安定した仕込みを可能にした。蒸留器についても新しい挑戦を進めている。 また富山県立大の協力で、富山県産の酵母も使用し始めたところだ。高岡産の大麦から発見された酵母でつくったスピリッツをシェリー樽で熟成中だという。新しいミズナラ樽を含め、すべての要素が「富山らしいウイスキー」へと集約されているのだと稲垣氏は語る。 「最初は頑固な感じがしても、長く付き合うほどに優しさを感じられるのが富山の人柄。スモーキーかつ重厚でありながら、華やかなエステル香を持ったウイスキーを目指しています」 理想の味わいは、さまざまな地元の伝統を味方につけながら着実に歩みを進めている。 WMJ PROMOTION
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失われたウイスキーがよみがえる
100年以上も前に閉鎖された蒸溜所は、どんなモルトウイスキーをつくっていたのだろう。ザ・ロスト・ディスティラリー・カンパニーのプロジェクトは、時を超えた壮大なスケールの実験だ。 文:ガヴィン・スミス 会社の所在地は「ザ・グレート・スチュワード・オブ・スコットランズ・ダンフリース・ハウス(スコットランド大家令のダンフリースハウス)」。こんな住所からも、ザ・ロスト・ディスティラリー・カンパニーがかなり特別な事業をおこなっていることが推測できるだろう。事実、そのブレンディングは通常の常識を大きく逸脱している。 同社が取り組んでいるのは、はるか昔に閉鎖されてしまった蒸溜所のモルトウイスキーを再生しようという野心的な試みだ。設立したのは元ディアジオのスコット・ワトソンとブライアン・ウッズ。2012年にクルーシャル・ドリンクス社を設立し、ラムのポートフォリオを拡充しながら唯一無二のブレンデッドモルトウイスキーを生産すべく努力を重ねてきた。 ワトソンとウッズは共にエアシャーの出身で、地域産業の再活性化に貢献したいという思いからキルマーノックで事業を始めた。だが2016年からは、カムナック近郊のザ・グレート・スチュワード・オブ・スコットランズ・ダンフリース・ハウスに住所を移している。ここはスコットランドでも有数の格式を誇る大邸宅であり、2007年にウェールズ公チャールズの尽力によって荒廃を免れたエピソードもある。ザ・ロスト・ディスティラリー・カンパニーは本社機能をこの邸宅に置き、ビジターには魅惑的な「ウイスキー・ラウンジ」も公開している。 スコット・ワトソンが、会社創設のいきさつについて教えてくれた。 「ブライアンと僕は、20年くらい前に一緒に働いたことがありました。そのときから、本物のクラフトウイスキーを求める消費者と、実際のウイスキー市場との間に未開拓の分野があるとわかっていたのです。でもウイスキー市場が縮小して会社の統合が進むなか、そんなクラフトウイスキーを見つけるのがどんどん難しくなっていきました。20世紀のスコットランドでは100軒以上のウイスキー蒸溜所が廃業しましたが、これはまさに悲劇だったと思っています。ザ・ロスト・ディスティラリー・カンパニーは、かつて有名だったウイスキーと、そこで働いていた人たちの仕事の物語を取り戻すために生まれたのです」 実際に失われてしまったウイスキーを、一体どのようにして再生するのか。クルーシャル・ドリンクスのマーケティング部長を務めるニッキ・カミングが説明する。 「リサーチ開始前に、チームとして蒸溜所の主要な情報を確保する必要があります。蒸溜所が評判の良い高品質のモルトウイスキーをつくっていた証拠となる詳細な資料の存在があって、初めてその蒸溜所の伝統を保護する意義が生まれます。アーキビスト(記録研究者)が本格的な調査と分析を開始するのは、そのような資料の存在を確かめた後です」 社内のアーキビストが、あらゆる側面から蒸溜所の操業状況を調査する。その結果から、ウイスキー生産チームが必要とする十分な情報を供給し、失われたフレーバーのプロフィールを具現化する方法について議論を深めるのだとカミングは語る。 「議論がひとまず決着すると、適切なシングルモルト原酒の調達を開始します。調達先となるのは、現存するスコッチウイスキー蒸溜所の80%程度。失われた蒸溜所の商品を市場に送り出すための期間は、1銘柄で最長1年ほどかかりますね。生産中も記録調査の仕事は継続し、新しい発見や変更があれば商品に反映させます。このような変更の詳細は、ソーシャルメディアで公表していますよ」 過去のウイスキーを分析するための10項目 ザ・ロスト・ディスティラリー・カンパニーのチームは、過去のウイスキーに備わっていたと見られる特徴を下記の10項目から特定する。 時代:最後に蒸溜がおこなわれた年月日が極めて重要になる。生産のスタイルとプロセスは、あらゆる製造業と同じように時代を追って変化するものだ。例えば生産工程の機械化によって品質の均一性は増すようになった。また鉄道網の拡大によって新設される蒸溜所の規模が大型化歴史も考慮されなければならない。 場所:近隣の蒸溜所が、同じ水源や、大麦や、酵母を使用していた可能性は常にある。現存の蒸溜所の生産スタイルに、当時の工夫の名残りがあるかもしれない。そのような共通の特徴を、近隣の蒸溜所に見出すことも可能だ。 水:スピリッツをつくる主原料のひとつは水。ボトリング時にアルコール度数を希釈する際にも使用される。軟水であるのか、硬水であるのか、またどのようなミネラルが含まれているのかを考慮する必要がある。 大麦:原料である大麦のタイプを特定する際に、もっとも重要な側面はフェノール類の含有量だ。大麦はどこで栽培されたのか。地元産だったのか。品種は何だったのか。アルコール収率はどこまで一定だったのかなどといった問題が考慮の対象になる。 酵母:サワードウで作ったパンの味は店ごとに異なる。パン屋のなかには、何十年も同じスターター(発酵種)を守っている店もある。このような事実からも、酵母がウイスキーづくりの工程で極めて重要な役割を果たし、最終的なウイスキーの味わいに影響を与えることがわかる。 ピート:原料の大麦モルトは、ピーテッドモルトだったのか、それともノンピートだったのか。そしてピートはどの程度の量が使用されていたのか。ピートは地元産だったのか。そのピートが、最終的な製品としてのウイスキーでどのように表現されたのかを分析する。 糖化槽:マッシュタン(糖化槽)の素材は何だったのか。蓋は付いていたのか、それとも開放型だったのか。温度はどのように管理されていたのか。水分を揮発させるような高温が、酵母の活動を阻害した可能性にも注目する。 発酵槽:ウォッシュバック(発酵槽)は、ほぼ例外なく柾目のダグラスファー材(ベイマツの一種)で作られていた。今でも木製の発酵槽を使用している蒸溜所はあるが、多くはステンレス製に変更された。ステンレス製の発酵槽が、ウイスキーに特殊な風味を授けることはない。 蒸溜器:スチル(蒸溜器)の形状とサイズは、スピリッツの方向性に甚大な影響を与える。例えば、小さくてずんぐりとした形状のスチルは銅とスピリッツの接触が多いため、よりヘビーで粘性の高い酒質になる。 樽材:スピリッツに蒸留された後、ウイスキーの貯蔵や輸送に使用された樽の材質は何だったのか。この樽材の影響は、最終的なウイスキーの風味に現れていたのか。ウイスキーを貯蔵する前、その樽には何が入っていたのか。これらの条件によって、ウイスキーの味わいは大きく変化することが予測できる。 科学的な検証から過去を再解釈 このような調査と研究は、久しく忘れ去られていた蒸溜所のウイスキーづくりに関する知識を大きく広げてくれる。だがオリジナルのウイスキーのサンプルがなく、似たような酵母株や大麦品種を使用してウイスキーをつくる現存の蒸溜所も失われている今、ザ・ロスト・ディスティラリー・カンパニーのウイスキーが「再生」というよりも「再解釈」と呼ぶべき成果に留まることは避けられない。同社も実際に出来上がったウイスキーを「はるか以前に閉鎖された蒸溜所のスタイルを採用した手づくりのウイスキー」と定義している。 実際のブレンディングを手がけているのはスコット・ワトソンだ。最初に「ストラスエデン」と「オークナギー」の2銘柄をリリースし、次いで「ガーストン」「ジェリコ/ベナヒー」「ロシット」「トウィーモア」「ダラルアン」が発売された。それぞれの銘柄でクラシック(10~12年熟成のウイスキーを43%でボトリング)、アーキビスト(15~18年熟成のウイスキーを46%でボトリング)、ビンテージ(25年以上熟成されたウイスキーを46%でボトリング)の3種類がある。ディスカバリー・セレクションから発売された最初の6商品をミニボトルに詰めたボックスセットも人気を博しているようだ。 もっとも新しいザ・ロスト・ディスティラリー・カンパニーのボトルは「ダラルアン」。キャンベルタウン地域のウイスキーをテーマにした初めての試みである。かつてキャンベルタウン周辺には34軒以上もの蒸溜所があり、アーガイルシャー港は隆盛を極めていた。それが現在はわずか3軒の蒸溜所を残すのみとなっているのだとスコット・ワトソンが歴史を振り返る。 「ダラルアンは当時から伝説的なウイスキーでした。残念ながら閉鎖されてしまいましたが、その理由は経営の失敗などではなく、ウイスキー業界全体の失速です。キャンベルタウンでは、不況の打撃を特に大きく受けてしまいました。極めて高く評価されていたモルトウイスキーなので、現代で再解釈されたブレンドも往時のエッセンスをうまく捉えていたら嬉しいですね」 ザ・ロスト・ディスティラリー・カンパニーの商品は数々の賞に輝き、現在は世界約50カ国で販売されている。リリース予定についてはまだ手の内を明かしていないが、独創的なアプローチによるブレンデッドモルトウイスキーが今後も注目を集めるのは間違いないだろう。
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シェリー樽の長い旅【第3回】
スコッチウイスキーの熟成に使用されているシェリー樽は、有名なソレラ樽にあらず。シェリー樽にまつわる誤解を解くシリーズの第3回。 文・写真:クリストファー・コーツ 前回まではシェリーの歴史をおおまかに辿った。その上で、スコッチウイスキーメーカーが熟成に使用するシェリー樽にソレラシステムの樽が含まれることはほとんどないという事実も明らかにした。しかしそれが事実なら、ウイスキー業界で使用されているシェリー樽は一体どこからやってきたのだろう? よく聞く逸話がある。前提として、シェリーは樽に入れられて船で英国に運ばれていた。英国でのシェリー消費は、当時も現在もかなりの量にのぼる。だが空き樽をただヘレスに送り返すのではもったいない。そこで抜け目のないスコッチメーカーたちが、不要になった空き樽をただ同然の値で買い取ってウイスキーの熟成に使用し始めたという話である。 だが事実を確認してみると、これが過去のウイスキーメーカーの名誉を多少なりとも傷つけるホラ話であるとわかる。なぜならウイスキー業界の人々は、当時からシェリーの輸送に使用された樽がウイスキーに好ましい特徴を授けることを明確に理解していたからだ。 ヘレスのワインメーカーが輸送用の樽にほとんどコストや時間をかけておらず、スコッチウイスキーの蒸溜所がシェリー輸送用の樽に価値を見出していることを知らなかったという前提にも無理がある。実際のところ、ボデガのオーナーたちは輸送用の樽を用意するためにかなりの時間と労力を投じ、ウイスキーメーカーが期待するシェリー樽の条件もしっかりと把握していた。 19世紀の価格表を見れば、その証拠がある。シェリーの価格表には大抵シェリーバット1本分のワインの価格が記されており、樽そのものの値段は含まれていない。もし英国で用済みになったシェリー輸送樽の需要がなかったら、ボデガは「再輸出される物品を対象とした輸出許可の特例条項」を活用して、樽をそのままスペインに返却させることもできたはずだ。そのような状況を踏まえると、「樽をスペインに返却するのは費用がかかりすぎる」という前提がおそらく誤りであるとわかる。 他にも重要な資料がある。当時からさまざまな種類のワインが英国に輸入されていたのに、ウイスキー熟成用の樽はどんなワイン樽でもよいという訳ではなかった。スコットランドとアイルランドのウイスキーメーカーが、わざわざシェリー樽を探し出して高値で買い取っていた証拠も残っている。事実、アイルランドの蒸溜所がポットスチルウイスキーの偽物を防ぐために発行した『ウイスキーの真実』(1879年刊)という本には、シェリー樽が「ダブリン産のウイスキー」の風味に欠かせない要素であると記述されている。 シェリー樽を模倣したスコッチ業界の工夫 文書で残された記録をさらに検証してみよう。ノッカンドゥにあるタムデュー蒸溜所は、開業から1年にも満たない1898年に最初のシェリー樽を取り寄せている。当時の新進蒸溜所が、ウイスキーの原酒に望ましい風味を付与するため、シェリー樽熟成を重視していたことを物語る証拠だ。この伝統は今日にも受け継がれており、タムデューが発売するシングルモルトウイスキーにはヨーロピアンオークまたはアメリカンオークのシェリー樽で熟成された原酒しか入っていない。樽の調達先は、ヘレスにあるテバサ、バシマ、ウベルト・ドメックなどの樽工房である。 ノッカンドゥからさほど遠くないエルギンでも、食料雑貨商のゴードン&マクファイルが1895年の開業当時から1970年代まで樽入りのシェリーを輸入していた。家族経営のままウイスキーづくりとボトリング事業を始めた同社は、現在もシェリー生産地との取引を維持している。自社で生産するベンロマック蒸溜所のウイスキーをはじめ、ゴードン&マクファイルが販売するウイスキーの多くはシェリー樽で熟成される。そのシェリー樽は、ヘレスで組み上げてウィリアムズ&ハンバートのシェリーでシーズニングを施したものだ。ゴードン&マクファイルは、過去にウィリアムズ&ハンバートのシェリーを輸入してスペイサイドの顧客に販売していたこともある。 1850年以来、スコットランドでは各社が競い合うようにシェリー樽を調達していた。そして新しい輸送用の樽を確保しながら、英国の樽工房では古樽を再活性化させるために「ワイン処置」もおこなわれるようになった。 この「ワイン処置」のひとつとしておこなわれたのは、パクサレット(パハレテ)と呼ばれる甘い酒精強化ワインを少量(500~1000ml)だけ樽に注いで蒸気圧をかける方法である。シロップのような酒精強化ワインを、蒸気の力で樽板に浸透させるのだ。またワインを濃縮した「アローペ」(パクサレット内の甘味成分)もパクサレットの代わりによく使用され、時にはパクサレットとアローペを併用することもあった。20世紀初頭から半ばまでの識者が著述したところによると、「カリフォルニア産シェリー」などの紛い物もこのような処置に使用されていたという。 1900年代の初頭までに、同様の処置は英国の樽工房で組み上げたオーク新樽にも施されるようになった。目的は輸送用シェリー樽の特徴を再現すること。英国に届く本物のシェリー樽だけでは、すでに必要な分をまかなえなくなっていたのである。 このような状況は、数十年にわたるスペイン内戦や2つの世界大戦による混乱でさらに悪化の一途を辿ることになる。スコッチウイスキー業界の大スキャンダル「パティソン事件」が起こった1898年にはシェリーバット1本あたり40ペセタだった輸送用シェリー樽が、1945年には725ペセタになるほど高騰した。 パクサレットを使用した「ワイン処置」は複雑な工程だが、シェリーの濃縮液をウイスキーに直接ブレンドして風味を改善した極端な例もある。このような細工は、1980年代以前に正当な手順で用意された本物の輸送用シェリー樽や、ヘレスの三角地帯内で造られる今日の高品質な認可済みシェリー樽とは明確に分けて考えなければならない。この問題については次回以降に解説しよう。 (つづく)
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シェリー樽の長い旅【第4回】
ウイスキーの熟成に使用されるシェリー樽とは、もともとシェリーの輸送に使われてきた樽のことだった。だがスペインの法改正で、樽入りシェリーの輸出は全面禁止に。樽を確保するためにスコッチウイスキー業界が採った手段とは? 文・写真:クリストファー・コーツ 英国のウイスキーメーカーに重宝されたシェリー樽は、シェリーを熟成した樽ではなく輸送に使用された樽だった。ならば、まずはこの樽が一体どんな樽なのかを知っておく必要があるだろう。 総合的に判断して、この輸送樽は「安価な地元産のヨーロピアンオーク」を原材料にしていたと見て間違いない。米国から輸入されたアメリカンオークは、主にワイン造りの工程で使用されていたからだ。 しかしながら1870年代〜1950年代の信頼できる資料によれば、北米産のオーク材は輸送樽を含むあらゆる目的に向いているという記述もある。ヨーロピアンオークやその他の地域のオークは、アメリカンオークの供給が不足しているときに限って使用されるというのである。代替のオーク材として、ペルシアンオーク(イラン産)が使用される面白い例もあったと記録されている。 ある資料によると、シェリーを国外に輸送する際に使用された樽は、シーズニングも特別な処置もまったく施されていなかった。シェリーバットのサイズが大きいことや、ヘレスから英国への輸送で樽内に入っている期間がせいぜい数ヶ月(数年ではなく)であることを考えると、ワインに樽材が与える悪影響は最低限で済むだろうという論理である。 調査によると、輸送樽にはかなり品質の低いワインが入れられていたようだ。そのワインが通常のワインだったのか、酒精強化ワインだったのかはわからない。だがどうやら英国側では、樽から引き出されたタンニン(または他の木材由来の成分)が味気のないスピリッツに好ましい影響を与えてくれたり、タンニンにスピリッツの品質劣化を防いでくれる効果があるのではないかと考えられていた。 以上のような慣行が真実だとしても、19世紀末までには別の方法が広まっていく。ヘンリー・ヴィゼテリーが著した『シェリーの事実』(1876年刊)には、輸送用シェリー樽の準備工程やヘレスでのワイン造りについて説明する際に「シーズニング」という用語が少なくとも9回登場している。樽を使用前にシーズニングすることが「当たり前」で「必須」の工程であると何度も書いているのだ。 さらにヴィゼテリーは、何種類かの異なるシーズニング工程について言及している。どのようなシーズニングを施すかは、樽の使途や樽入れされるワインの品質によっても異なってくる。このようなシーズニングの来歴は、樽本体に記録されていた。 高品質のヘレス産ワインを輸送するのに使用された樽は、伝統的にシーズニングを施されていたようだ。このシーズニングは、タンニンを取り除き(あるいはアルコール度数約18%の液体から少なくとも水溶性のタンニンを除去し)、輸送中にワインの風味が変質するのを防ぐための処置である。19世紀の段階で、ヘレスのワインメーカーは自分たちが採用しているさまざまなシーズニング手法がどのような結果をもたらすか明確に理解していた。 ヴィゼテリーは複数のシーズニング工程を紹介している。樽を18時間にわたってスチームしてから水を張る方法、新品の樽内に果醪を入れて発酵させる方法、専用のワインで樽をシーズニングする方法などである。水を張る方法は、面白いことに現在のコンセホ・レグラドール(2017年に原産地呼称統制委員会が制定した容器のシーズニングに関する技術仕様書)によって禁じられている。「工程の開始前あるいは終了前に水を入れた樽は、シーズニングされたものとみなさない」と明記されているのである。 樽のコンディションをワインで整える ヘンリー・ヴィゼテリーの著書から約60年後、マヌエル・ゴンサレス・ゴルドンが『シェリー:高貴なるワイン』(1935年)を著した。同書によると、シーズニングされていない樽に貯蔵されたワインは風味が損なわれ、極端な場合には「蒸溜酒の原料以外には使い道のない代物」になってしまうという。 さらに本では、新しい樽をシーズニングする「最も実用的な方法」が果醪(ブドウ果汁)の発酵容器として使用することであると記述されている。その理由は、「発酵の過程で果醪が木材から樹脂成分を吸い出してくれるから」。同時に木材は他の物質を吸い込んで樽内に沈着させることができる。加えて「果醪はワインのように木材から引き出された成分のせいで台無しになることがない」という記述もある。 ウイスキー業界もまた、シェリーを英国に輸送する前には輸送樽に何らかの準備工程が必要であることを理解していた。ジュリアン・ジェフスは有名な著書『シェリー』(1961年)で、長年実践されてきた慣行の詳細を記している。 果醪から若いワインを造る「発酵ボデガ」が、ウイスキーメーカーに新しい樽を供給する。この若いワインとは、つまりシェリーになる前段階のワインである。ジェフスは「スコットランドのウイスキーメーカーが新しい樽を購入し、シェリーの輸送業者に貸し出して使用させている。だから発酵ボデガを訪ねた人は、シェリーバットの鏡板に有名なウイスキーブランドの名前が記されているのを見て驚くかもしれない」と記している。 1970年代までに、若いワインをシェリーバットで発酵させる慣行はシェリーの生産工程における定番のひとつとなっていた。このシェリーバットがやがて温度管理可能なステンレス製の大型発酵槽へと様変わりしていくにつれ、樽材を中和する別の方法が出現する。 フランシスコ・アイヴィソン・オニール(1831〜1890年)が特許を保有していた方法は、アンモニアを含む圧力蒸気を40~50分ほど樽に当ててシーズニングと同じ効果をもたらすものだ。また硫黄を使って木樽を殺菌することで、酢酸菌などの細菌感染を防ぐ手法もオニールが最初に編み出した。これもまた次回以降の記事で紹介したい重要なトピックである。 ともかく、通称「ゴメス方式」の一種でもあるアンモニア蒸気法は、遅くとも1890年代末から樽の準備工程における定番の手法となり、発酵によるシーズニングを施した樽が入手できない際に不足分を埋めるようになった。樽にワインを満たすシーズニング方法も最終的な品質に寄与するとして継続され、樽内でワインを発酵させる手法と併用されていた。だがシーズニング用のワインをタンニンで台無しにしてしまうことからコストがかさみ、徐々に主流からは遠ざかっていった。 だがそんなことより、もっと大きな変化がやってくる。シェリーは1970年代まで大半が樽で輸出されていたのだが、やはりスペイン国内でボトリングしたほうが輸出用シェリーの品質保持に寄与できることは明らかだった。さらにはシェリーの名声を利用した英国産シェリー、オースラリア産シェリー、カリフォルニア産シェリーなどの模倣品や、完全な偽物と競争する徒労も避けたい。シェリーというカテゴリーを守るためには、国内でボトリングするのが理に適っていた。 1980年代前半、コンセホ・レグラドール(原産地呼称統制委員会)は、規定の生産地帯外でボトリングしたワインがシェリー(Jerez、Xérès、Sherry)を名乗ることを禁じた。これによって、スコッチウイスキー業界に長年供給されていた伝統的な輸送用のシェリーバットは、ほぼ一夜にして入手不能となったのである。 だがひとつの扉が閉まることで、新しい扉も開くものだ。幸いにして多くのスコッチウイスキーメーカーは、長年にわたり自社専用のシェリー樽をスペインの樽工房で造っていた。樽の組み立て、チャー(内面の焼き付け)、シーズニングを自社の仕様でおこなう体制ができていたのである。 現在、ウイスキー蒸溜所が使用するオーダーメイドのシェリー樽生産は、それ自体がひとつの業界として成立しており、コンセホ・レグラドールの規制によって管轄されている。 次回では、オークが樽材になるまでの旅をたどってみよう。 (つづく)
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ピート最強「オクトモア」から新エディション「09」シリーズが登場
スモーキーなウイスキーのファンなら、いつかはたどり着く反骨のシングルモルト。スーパー・ヘビリー・ピーテッド・ウイスキーの「オクトモア」から、待望の新エディション2種類が数量限定で発売される。 文:WMJ スモーキーなシングルモルトウイスキーの聖地として知られるスコットランドのアイラ島。なかでも世界で一番ヘビーにピートを効かせたシングルモルトウイスキーが、ブルックラディ蒸溜所で生産される「オクトモア」だ。 ブルックラディ蒸溜所で生産されているシングルモルトウイスキーは現在3種類。ノンピーテッドの「ブルックラディ」、ヘビリー・ピーテッドの「ポートシャーロット」、そしてスーパー・ヘビリー・ピーテッドの「オクトモア」だ。可能な限りピートを焚き込んだモルトを、背の高いスチルで蒸溜しエレガントな酒質に仕上げた「オクトモア」は、誕生以来15年にわたってその力強いフレーバーが注目を集めてきた。あえて均一性を求めない革新的な実験精神で、エディションごとに異なる価値を提示している。 シングルモルトのマスタークラスを追求した「オクトモア 08」シリーズ発売から1年、待望の新エディション「オクトモア 09.1 スコティッシュ・バーレイ」が、2019年2月4日から発売される。これは2011年に収穫された100%スコットランド産コンチェルト種の大麦を2012年に蒸留し、全期間をファーストフィルのアメリカンウイスキー樽で熟成したもの。5年熟成、フェノール値156ppm、アルコール度数59.1%という数値はすべて型破りだが、味わってみればその洗練された見事なバランスに驚くことだろう。 年数をはるかに凌駕する熟成感と、ヴェルヴェットのように滑らかな舌触り。分厚いスモーク香にナッツや花の香りが融合した充足感は、緻密なウイスキーづくりの賜物だ。世界限定42,000本のエディションとなる。 テロワールにこだわった最新作を連続リリース そして3月4日には、もうひとつの新エディション「オクトモア 09.3 アイラ・バーレイ」が発売される。こちらはアイラ島のオクトモア農場にあるアイリーン・フィールド(畑)で育った大麦のみを使用した「シングルファーム、シングルフィールド、シングルヴィンテージ」のアイラモルト。まさしくテロワールへのこだわりを極めた新作だ。 アイラ島の大麦は過酷な気象条件のもとで育ち、収穫量も少ない。「オクトモア 09.3」に使用された大麦は52トンのみで、収穫後に蒸溜されて134樽の原酒となった。収穫年と蒸溜年は「オクトモア 09.1 スコティッシュ・バーレイ」と同じだが、こちらはフレンチワイン樽を含むセカンドフィルの樽を主体にすることで、スピリッツの個性を明確に提示。これまでより低めのフェノール値(それでも133ppm、通常の3~4倍だが)も新たな特徴である。マスターディスティラーのアダム・ハネットは次のように説明している。 「これまでよりやや低いフェノール値に仕上がり、様々な種類の樽を使用したことで、このウイスキーに使われた大麦が“あるべき姿”へと到達しました。リリースごとに新たな創造や進化を自然に任せることができるのは、我々の仕事の喜びです」 均一化したものを造ろうと悪あがきするのではなく、与えられたものを最大限に表現するのがオクトモアのコンセプトである。希少なアイラ育ちの大麦フレーバーをしっかりと引き出したヴィンテージなら、アイラ島の大地と人が織り上げた唯一無二の味わいが堪能できるだろう。 比類のないコンセプトで未来へ進む 一貫性を重視する他のウイスキーブランドとは異なり、オクトモアの各リリースはひとつひとつ異なる様々な条件が組み合わさってできあがる。そのどれもが、決して同じものにはなりえない。ある時は直観にまかせ、ある時は自然の力に委ねる孤高のウイスキーづくりだ。 今回発売される2つのエディションに、ブルックラディは「ダイアローグ(対話)」というテーマを冠した。対話とは、自分の判断を一時留保し、相手の意見に耳を傾けて、仮定や思い込みを問い直しながら真理を探求する態度。既成概念にとらわれず、いつも新しい試行錯誤を続けながらウイスキーの世界を広げてきたブルックラディらしいテーマだ。 熟成年が短すぎる。ピートが強すぎる。度数が高すぎる。パッケージがウイスキーらしくない。そんなシングルモルトウイスキーの常識をことごとく覆し、どこまでも個性的な味わいを実現しているのが「オクトモア」の真骨頂。エディションごとに異なる価値を見出し、多様なウイスキーの在り方を認めて進化を続ける。このウイスキーに対峙するとき、誰もが自分のウイスキー観を問われることになるだろう。固定観念にとらわれることなく、様々な個性を受け入れて、豊かなウイスキーライフを楽しんでほしい…そんなメッセージも感じられるのではないだろうか。
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バーボンバレルの基礎知識
スコッチウイスキーのメーカーは、モルトウイスキーを熟成するために大量のバーボンバレルを入手する。だがそのプロセスは多様で、熟成のアプローチもさまざまだ。 文:イアン・ウィズニウスキ バーボンメーカーが、バーボンの熟成に新樽のバレルを使用できるのは1回だけ。このルールのおかげで、スコッチウイスキーのメーカーは使用済みバーボンバレルの安定した調達が可能になる。 買い付けはバーボンの蒸溜所と直接取引してもいいし、アメリカやスコットランドの樽工房を通して注文してもいい。だが後者の場合は、スコットランド側が希望するチャーレベルなどの細かいスペックまで聞き届けてもらえないこともある。このような樽の仕様は、どれくらい重要なものなのだろうか。ウィリアム・グラント&サンズのマスターブレンダー、ブライアン・キンズマン氏が語る。 「事前に入手できる情報量は、樽によって大きく異なります。有名な蒸溜所から購入するバーボンバレルの大半には、樽詰めした日付がスタンプされています。でも何か特別なプロジェクトに使用するとき以外は、樽の詳細なデータなどをそんなに必要としていません。実際の品質を確認するほうがよほど重要だからです」 詳細なデータが不要でも、購入時の条件が「ディスティラリー・ラン」と「ディスティラリー・セレクト」のどちらであるかによって樽の品質は左右する。 値段が高いのは「ディスティラリー・セレクト」の方で、これは買い手と売り手が同意したいくつかの条件を満たした樽を樽工房が選定することになっている。シーバス・ブラザーズのマスターブレンダーを務めるサンディー・ヒスロップ氏が説明する。 「諸条件のなかには、樽の実際の状態に関する条項もあります。例えば漏れの原因になるようなひび割れが側板にないこともチェック項目のひとつ。蒸溜所内では、経験豊富な担当者がすべての樽を個々にノージングで確認してから樽詰めしています。この樽も、みな年に1回の官能検査も通過していなければなりません。前に何が入っていたのかより、容器として均一な品質を維持していることのほうが重要なのです」 一方、「ディスティラリー・ラン」として購入される樽は、バーボン蒸溜所で熟成が終わって樽出しが済むと、すぐに輸送されてスコットランドに届く。ロッホローモンドグループでマスターブレンダーを務めるマイケル・ヘンリー氏が語る。 「ディスティラリー・ランで購入した樽の20〜40%は、割れた側板の交換などの補修が必要です。ディスティラリー・セレクトの補修率が約5%であることを考えると大きな違いですね。契約している樽工房がチェックして補修作業を進め、その費用を支払っています」 補修率などの品質の他に、これまで貯蔵してきたバーボンのスタイルなどはどれくらい重要な用件になるのだろうか。ゴードン&マクファイルでウイスキー供給のアソシエイトディレクターを務めるスチュアート・アークハート氏はまだ明確な答えを持っていない。 「異なるバーボンの蒸溜所から購入した樽にスピリッツを詰めて、熟成の状態を調べているところです」 同様に、バーボンを熟成していた時間の長さがどんな影響を及ぼすのかも気になるところだ。 グレンモーレンジィ蒸溜所で原酒熟成の責任者を務めるブレンダン・マキャロン氏が語る。 「もっとも重要なのは、バレルが2〜4年にわたって使用される過程で、パンチのある木の香味が樽材から排出されているということです。熟成年が長くなるほど、グレンモーレンジィの熟成時に欲しい特徴がバーボンによって引き出されてしまうということになります」 スピリッツに合わせてリフィル樽を使い分ける スコットランドに到着するバーボンバレルの詳細情報は、樽ごとにばらつきがある。だがひとたびスコッチウイスキーの蒸溜所で使用され始めると、樽には履歴がしっかり記録されることになる。サンディー・ヒスロップ氏がその手順を教えてくれた。 「樽が届いたら鏡板にハンマーで金属のタグを打ち付け、そこに樽詰めの年月日を記します。樽がもう一度樽詰めされる際には、また新しいタグが追加されて、リフィル樽であることがわかるようになっています。このようにして、1本ごとの樽の来歴を記録しているのです」 とはいえフィルを繰り返すごとにマイルドになっていくという単純な話でもない。それぞれのフィルによってバランスに変化がもたらされる。樽の影響が増える分、蒸溜所ごとの特徴(例えばニューメイクスピリッツの個性)は後退するからだ。フィルの期間は決められていないので、セカンドフィルやサードフィルになると樽ごとの個性が大きく異なってくる。セカンドフィルやサードフィルは個々の詳細を抜きにして「リフィル樽」と総称されることも多い。 その一方、樽の影響力がどこまで及ぶかはニューメイクスピリッツの特徴によっても決まる。スピリッツが軽やかなタイプなら、樽の影響を受けやすくなるのだ。マイケル・ヘンリー氏が説明する。 「よりフルボディなタイプのグレンスコシアは、ファーストフィルのバーボン樽と相性がいい。10年以上熟成した時に、樽材とスピリッツの特性がバランスよく調和できるからです。ロッホローモンドとインチマリンは軽やかなタイプなので、リフィルのバレルで熟成したほうがうまくいきます。セカンドフィルだと背後の甘味やシナモン風味が増して、サードフィルにすれば木材からの影響がさらに穏やかになります」 ファーストフィルのバーボンバレルだけを使用しているモルトウイスキーのひとつにベンロマックがある。熟成の過程でフレーバーのプロフィールが変化していく様子を理解するのにぴったりの実例だ。ベンロマック蒸溜所長を務めるキース・クルックシャンク氏が語る。 「ベンロマックの大麦モルトは12ppmのピートで繊細なスモーク香が漂うタイプ。10年の熟成を経ると、スモークやタバコの風味を舌で味わいながら、その背後にバニラとフルーツの香りを感じさせるウイスキーになります。それが15年熟成になると、バニラがさらに濃密に押し出されてリンゴや洋ナシの香りも強まり、背後にやわらかなスモーク香が漂っているような印象に変化しますね」 蒸溜所では、実際の樽詰めのスケージュールも問題になってくる。ダルモア蒸溜所で蒸溜所長を務めるスチュアート・ロビンソン氏が語る。 「樽詰めは蒸溜所内でほとんど毎日やっているので、一定したバーボンバレルの供給が必要です。樽の到着日はプログラムのなかに組まれており、各回の配達で届く樽の本数も決まっています。船が遅れたりする場合も想定して、念のために余分な樽も用意してありますよ」 バーボンバレルの購入は、ボデガにシーズニングを依頼して詳細な品質まで注文できるシェリー樽とはかなり異なった調達プロセスになる。例外のひとつが、グレンモーレンジィのバーボンバレルだ。特別なスペックを指定した注文樽についてブレンダン・マキャロン氏が教えてくれた。 「いつも『グレンモーレンジィ・アスター』と『グレンモーレンジィ・オリジナル』にはデザイナーズ・カスクを使用しています。オーク材は、伐採された場所や空気乾燥の期間も指定済み。バレルはみな同じ樽工房で、同じ時期に、同じレベルのチャーを施してからバーボンを4年間熟成します。この4年間という長さも、我々グレンモーレンジィが指定しているんです」 チャーの強度で風味も変わる バーボンバレルの内側にはチャー(焼き付け)が施される。裸火を数秒間当てる「レベル1」のチャーから、約1分当てて奥まで焦がすヘビーな「レベル4」まで、さまざまな強度のチャーが注文できる。ザ・マッカランでマスター・オブ・ウッドの称号を持つスチュアート・マクファーソン氏が説明する。 「たいていのバレルには、レベル3〜4のチャーが施されます。それでも樽工房によってそれぞれのチャーレベルにわずかな違いがありますね。チャーを施した樽は、スピリッツから渋みをもたらす硫黄成分などを吸収してくれます。硫黄成分の含有量を減らすことで、甘みやフルーツ香など他の軽やかな風味をスピリッツから引き出せるようになるのです」 チャーの熱は、何層にも重なっているオーク材の奥まで届く。これが樽材に含まれるバニリン(バニラ香)などの香味成分を活性化し、スピリッツを熟成する過程で好ましい風味が引き出されることになるのだとブライアン・キンズマン氏が説明する。 「チャーのレベルを上げることで、オーク材の深くまでしっかりとトーストされます。これがオーク材に含まれる風味成分をより多くニューメイクスピリッツに授けることになるのです」 このメカニズムについては、ブレンダン・マキャロン氏も別の側面から説明してくれた。 「チャーがヘビーになるほど、オークの表面は焦げて組織が破壊されます。こうすることで、トーストされた奥の層にスピリッツが触れやすくなる効果もあるのです。チャーのレベルを上げると、はるかに旺盛なバニラ、キャラメル、ハチミツなどの風味をウイスキーに加えることができますね」
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156号 テイスティングコメント 【前半/全2回】
from Issue 156 テイスティング:ロブ・アランソン、リンジー・グレイ 世界のウイスキー業界を代表する評論家が、最近発売された多彩なカテゴリーのボトルを試飲して、詳細なテイスティングノートを作成した。今回紹介する中にも、きっとあなたを魅了する銘酒があるだろう。 ※参考価格は主に英国で販売された実勢価格を表示しており、日本国内では為替の変動や入手経路によって価格が大幅に変わる場合がございます。あらかじめご了承いただき、あくまで目安としてご覧ください。 世界のウイスキー検索 Whisky Magazine ではウイスキー専門家、作家、愛飲家によるテイスティングを毎号開催し、その情報を皆さんにお届けしています。 およそ700種類に及ぶ世界中から集められたウイスキーのテイスティングノートや情報はこちらからご覧いただけます。現在は多くのテイスティングコメントを皆様にお届けするために、バッチ(製造年)違いである同一商品のテイスティングも掲載しておりますので、現在発売されているウイスキーの評価とは限りません。予めご了承ください。 蒸溜所/製造元 ベン・ネヴィス蒸溜所 マクミラ蒸溜所 1792蒸溜所 EDDU J&Wハーディー J.P.ワイザーズ蒸溜所 J・ハイダー蒸溜所 R&Bディスティラーズ WAMBRECHIES WARENGHEM アイリッシュディスティラーズ アイル・オブ・ジュラ蒸溜所 アイル・オブ・マル蒸溜所 アシュビル・ディスティリング・カンパニー アシュビル蒸溜所 アバフェルディ蒸溜所 アビーウイスキー アベラワー蒸溜所 アムルット蒸溜所 アラン蒸溜所 アルタアベーン蒸溜所 アルタナベーン蒸溜所 アルタベーン蒸溜所 アルバータ蒸溜所 アンガス・ダンディー・ディスティラーズ アンノック蒸溜所 アードベッグ蒸溜所 アードモア蒸溜所 イエローローズ蒸溜所 イベルニア蒸溜所 インチガワー蒸溜所 インチマリン蒸溜所 インバーゴードン蒸溜所 インペリアル蒸溜所 インヴァーゴードン蒸溜所 インヴァーリーブン蒸溜所 ウィリアム・グラント&サンズ ウィリアム・グラント&サンズ ウィレット蒸溜所 ウェミス・ビンテージ・モルツ ウエストランド蒸溜所 ウッドフォードリザーブ蒸溜所 ウルフバーン蒸溜所 [...]
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156号 テイスティングコメント 【後半/全2回】
from Issue 156 テイスティング:ロブ・アランソン、リンジー・グレイ 世界のウイスキー業界を代表する評論家が、最近発売された多彩なカテゴリーのボトルを試飲して、詳細なテイスティングノートを作成した。今回紹介する中にも、きっとあなたを魅了する銘酒があるだろう。 ※参考価格は主に英国で販売された実勢価格を表示しており、日本国内では為替の変動や入手経路によって価格が大幅に変わる場合がございます。あらかじめご了承いただき、あくまで目安としてご覧ください。 世界のウイスキー検索 Whisky Magazine ではウイスキー専門家、作家、愛飲家によるテイスティングを毎号開催し、その情報を皆さんにお届けしています。 およそ700種類に及ぶ世界中から集められたウイスキーのテイスティングノートや情報はこちらからご覧いただけます。現在は多くのテイスティングコメントを皆様にお届けするために、バッチ(製造年)違いである同一商品のテイスティングも掲載しておりますので、現在発売されているウイスキーの評価とは限りません。予めご了承ください。 蒸溜所/製造元 ベン・ネヴィス蒸溜所 マクミラ蒸溜所 1792蒸溜所 EDDU J&Wハーディー J.P.ワイザーズ蒸溜所 J・ハイダー蒸溜所 R&Bディスティラーズ WAMBRECHIES WARENGHEM アイリッシュディスティラーズ アイル・オブ・ジュラ蒸溜所 アイル・オブ・マル蒸溜所 アシュビル・ディスティリング・カンパニー アシュビル蒸溜所 アバフェルディ蒸溜所 アビーウイスキー アベラワー蒸溜所 アムルット蒸溜所 アラン蒸溜所 アルタアベーン蒸溜所 アルタナベーン蒸溜所 アルタベーン蒸溜所 アルバータ蒸溜所 アンガス・ダンディー・ディスティラーズ アンノック蒸溜所 アードベッグ蒸溜所 アードモア蒸溜所 イエローローズ蒸溜所 イベルニア蒸溜所 インチガワー蒸溜所 インチマリン蒸溜所 インバーゴードン蒸溜所 インペリアル蒸溜所 インヴァーゴードン蒸溜所 インヴァーリーブン蒸溜所 ウィリアム・グラント&サンズ ウィリアム・グラント&サンズ ウィレット蒸溜所 ウェミス・ビンテージ・モルツ ウエストランド蒸溜所 ウッドフォードリザーブ蒸溜所 ウルフバーン蒸溜所 [...]
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プルトニー蒸溜所を訪ねて【前半/全2回】
スコットランド本土最北部にある漁港の町ウィック。「海のモルト」の故郷として愛されるプルトニー蒸溜所で、そのユニークな歴史を訪ねる2回シリーズ。 文・ガヴィン・スミス その昔、スコットランド北部がニシン漁の季節になると、ウィックの港は1,000艘もの漁船を迎え入れた。その賑わいぶりは、船のデッキ伝いに歩いて湾を横断できるほどであったという。大勢の船乗りと塩漬け作業の女性が町に溢れかえり、ときに羽目を外した大騒ぎが起こっていたことは想像に難くない。当時の資料によれば、1日あたり500ガロン(2,300L)ものウイスキーが消費されていたというから驚きだ。 かつて栄華を誇ったスコットランドの漁港の大半がそうであるように、現在はケースネス地方の港もかなり静かになった。停泊しているのは蟹やロブスターを獲る小さな漁船が中心で、他には再生エネルギー産業関連の輸送品が往来する程度である。 ウィック港は、スクラブスター港とともにスコットランド最北の郡における主要港だった。この地域はゲール人よりもバイキングの影響が色濃く残っている。漁業の中心地としてのウィックは、19世紀の初頭から隆盛が始まった。大量の船が停泊できる港を整備すると、英国漁業協会の出資によって居住区となる町も建設。漁協の会長を務めていた資産家ウィリアム・プルトニー卿にちなんで、町はプルトニータウンと名付けられた。 19世紀半ばには、造船技術と灯台建築で有名なスティーブンソン家がウィックの防波堤を建設した。だがこの防波堤は、2回の嵐で破壊されてしまう。防波堤建設プロジェクトを指揮したのはトーマス・スティーブンソン。彼の息子ロバート・ルイス・スティーブンソンは『宝島』や『ジキル博士とハイド氏』などの傑作を著した作家である。ウィックの都市計画に関わっていたスティーブンソン家は、ウィックの町にも住んだ時期がある。だが作家にとってウィックの町はお気に入りと言い難かったらしく、エッセイ『技術者の教育』(1888年刊)のなかで「ウィックは男たちの町のなかでも特に不親切で荒っぽい町」と評している。 1826年、その荒っぽいプルトニータウンで、ジェームズ・ヘンダーソンが蒸溜所を建設した。ヘンダーソンは、それまでウィックから16マイルほど西にあるハルカーク近郊のステムスターでウイスキーをつくっていた人物である。1880年代半ばに書かれたアルフレッド・バーナードの著作にこんな記述がある。 「ヘンダーソン氏はほぼ30年にわたって内陸のほうに小さな蒸溜所をひとつ所有していたが、自分のつくるスピリッツの需要が増してきていることに気づいて、海に近い場所で蒸溜所を創設することに決めた。当時はこの地域から南へ人や物を送るのに、海路を使うしかなかったからである」 酔いどれの町に訪れた禁酒時代 ヘンダーソン家による経営が続いた後、プルトニーは1920年にダンディーのブレンデッドウイスキーメーカー「ジェームズ・ワトソン&カンパニー」によって買収された。その5年後、ワトソン社は大企業ディスティラーズ・カンパニーに吸収され、同社が1930年にプルトニーでの生産を終了してしまう。世界的な不況の波が押し寄せていただけでなく、プルトニーの町ではなんとアルコール飲料が全面的に禁止されてしまったのだ。 スコットランドにも、禁酒法時代は確かに存在した。というよりも、正確には自治都市のウィックが1925~1947年にアルコール禁止の「ドライ」な町になった。この禁酒法は、19世紀から20世紀にかけてウィックが酔いどれの町として悪名を轟かせた因果応報でもある。毎日500ガロン(2,300L)のウイスキーを飲み干す町が、万人に健全な環境とは言い難い。 そんなこともあって、プルトニーは1951年にバンフ在住の弁護士バーティーことロバート・カミングに買収されるまで沈黙を保っていた。そのわずか4年後、カナダの大手ウイスキーメーカーであるハイラム・ウォーカーが、カミングからプルトニー蒸溜所を買収する。戦争も終わって時代が変わり、ハイラム・ウォーカーはスコッチウイスキーの分野に大きく進出したいと考えたのである。 プルトニー蒸溜所は、1958~1959年に総合的な第1期再建計画を実施した。現在の外観がほぼ出来上がったのはこの時期である。1961年にアライド・ブルワリーズがプルトニーを購入し、同社がアライド・ドメクと社名を変えた後も操業を続ける。だが1995年に蒸溜所を手放して、インバーハウス・ディスティラーズ(現在はタイビバレッジ傘下)にシングルモルトブランドを売却した。このため現在のプルトニーは、いずれもスコットランドにあるスペイバーン、バルメナック、ノックデュー、バルブレアと同門の蒸溜所ということになる。 インバーハウスによる買収の2年後、12年熟成のオフィシャルボトル「オールドプルトニー」が発売された。受賞歴がもっとも多く、オールドプルトニーで最も有名な製品である。「海のモルト」と謳われたオールドプルトニーは、漁業で有名な本拠地ウィックの伝統をブランドイメージに取り入れている。オールドプルトニーの商品には塩気を感じさせる繊細な味わいがあり、それが海のイメージとしっかり関連付けられているのだ。 (つづく)
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バランタインから通年商品「バランタイン バレルスムース」が新登場
ブレンデッドスコッチウイスキーを代表する「バランタイン」が、新しい通年商品「バランタイン バレルスムース」を発売する。バニラやキャラメルを思わせる甘く芳醇な香りと、スムースな飲み口が特長だ。 文:WMJ 「香るウイスキー」としておなじみのバランタインは、スコッチを代表するブレンデッドウイスキーだ。ハイランド、ローランド、スペイサイド、アイラというスコットランドの4地方から良質なモルト原酒とグレーン原酒を厳選し、卓越したブレンディング技術によるバランスのとれた味わいで知られている。 19世紀屈指のブレンダーとして名高い創業者ジョージ・バランタインが、その類まれなブレンド技術を確立したのは1850年代前半のこと。1895年にはヴィクトリア女王から王室御用達の称号を授かり、わずか5人のマスターブレンダーによってブレンド技術を受け継いできた。 現在のマスターブレンダーは、5代目にあたるサンディー・ヒスロップ氏である。3代目のジャック・ガウディ氏、4代目のロバート・ヒックス氏の両名から薫陶を受け、2016年のインターナショナルスピリッツチャレンジで「マスターブレンダーオブザイヤー」に輝いた現代の名匠だ。毎週のように蒸溜所から届くニューメイクをすべてノージングし、熟成に使用される樽の選定と買い付けをおこなっている。 独自のチャーシステムから生まれたスムースな味わい そんなバランタインのラインナップに、新しい通年商品「バランタイン バレルスムース」が加わることになった。 このウイスキーは、サンディー・ヒスロップ氏が厳選した原酒をブレンドし、さらに独自のチャーシステムで丁寧に焼き上げられた樽内で仕上げたもの。バニラやキャラメルを思わせる甘く芳醇な香りと、スムースな飲み口が特長である。 グラスに注ぐと、色は焚き火の燃えさしを思わせる金色だ。香りは、熟れた果実やバタースコッチ味のトフィー。口に含むと、甘いハチミツ風味、穏やかなスモーク、リコリスの刺激が感じられる。フィニッシュでは、甘いバニラ香とかすかな刺激が長い余韻を残す。 サンディ・ヒスロップ氏いわく、やわらかくまろやかな甘味がすべてのバランタインの共通点。そこに特別な樽熟成の手間を加えることで、抜群にスムースな飲み心地を進化させた。際立った甘味と微かな刺激を感じさせる魅力的なブレンドである。 パッケージには、中味の琥珀色が映える透明瓶を採用している。「バランタイン12年」や「バランタイン ファイネスト」と同様のV字型ラベルに、樽のイラストをあしらったデザインからは風味へのこだわりが伝わってくる。 スコッチウイスキーの王道から生み出される新しい味わいを楽しんでみたい。
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プルトニー蒸溜所を訪ねて【後半/全2回】
昨年になって、コアレンジを大幅にリニューアルしたオールドプルトニー。伝統ある「海のモルト」は、さらに幅広いウイスキーファンを魅了している。 文・ガヴィン・スミス これまでのオールドプルトニーは、17年熟成と21年熟成がコアレンジの一角をなしていた。だが2018年にポートフォリオが大きく刷新。12年熟成は据え置かれたもののパッケージデザインを変更し、17年熟成と21年熟成はそれぞれ15年熟成と18年熟成に置き換えられた。この変更の背景には、長期熟成原酒の不足という事情があると思われる。さらにこのたび、熟成年数を記載しないノンエイジステートメント(NAS)の「オールドプルトニー ハダート」もラインナップに加わっている。 「ハダート」は、まずセカンドフィルのアメリカンオーク樽(バーボン樽)で熟成され、その後にヘビリーピーテッドのウイスキーを熟成していたバーボン樽で後熟された製品だ。新しい15年熟成と18年熟成は、まずセカンドフィルのアメリカンオーク樽(バーボン樽)で熟成された後、ある一定期間をファーストフィルのスパニッシュオーク樽(オロロソのシェリーバット)で後熟される。 オールドプルトニーのブランドマネージャーを務めるヴィッキ・ライトが、今回の変更について次のように説明してくれた。 「新しい『ハダート』は、スピリッツにこれまでと違った方法で樽のパワーを及ぼす実験です。消費者の皆様に、何か新しい形のオールドプルトニーを試していただきたいという考えもありました。ピートを効かせた『ハダート』は、ジョセフ・ハダート船長へのオマージュでもあります。ハダート船長は英国漁業協会の水路測量技師として活躍し、協会がプルトニータウンと港を建設する際に尽力した功労者。プルトニー蒸溜所はウィックのハダート通りにありますが、この通りも彼にちなんで名付けられました。そしてハダート船長が活躍していた時代には、プルトニーも現在よりピートの効いたウイスキーを生産していた可能性があるるんです」 コアレンジ全体の変更した意図ついても、ヴィッキ・ライトは次のように語った。 「ウイスキー市場における競争がますます熾烈になっています。オールドプルトニーの既存ラインナップを再活性化することで、ブランドの地位を強化できるのではないかと感じていました。同時に既存のファンの皆様にも、そろそろ新しいものを提示して製品ごとのフレーバーを楽しんでもらう時期が来ていました。オールドプルトニーのコアレンジを成長させることができて、全体の結果には満足しています」 定番の12年熟成に加えて、2017年に発売された25年熟成もコアレンジの一角に残った。同時期に発売された1983年と1990年のビンテージの他、本国では2008年ビンテージ「フロティーラ」も販売されている。また近年のオールドプルトニーが力を入れているのはトラベルリテールだ。現在のことろ2006年のビンテージが販売中で、ノンエイジステートメントの「ダネットヘッド」「ノスヘッド」「ダンカンスビーヘッド」も免税店などで入手可能。製品名はすべてケースネスの海岸に建つ灯台の名称である。 間違いから生まれたユニークな生産設備 蒸溜所に来たのだから、有名な蒸溜設備にも目を向けてみよう。プルトニー蒸溜所にある2基のポットスチルは、スコットランドでも他に類を見ないユニークな形状だ。付設されたコンデンサーも、珍しいステンレス製の蛇管式である。 ウォッシュスチルもスピリットスチルも、人目を引くボイルボールが特徴だ。このボイルボールは、蒸気の還流を促して華やかな酒質を生み出す。ヘッド部分がちょん切られたような形状をしているのにも理由がある。その昔、新しいスチルが蒸溜所に届いたとき、蒸溜棟の天井高よりもスチルのヘッドが高いとわかったからなのだという。 建物内に収めるため、スチル職人はスチルの最上部を取り外して蓋を取り付けるしかなかった。だがこの分断されたような形状のスチルは、意外なほどに良質なウイスキーを生み出してくれた。そこで歴代の蒸溜担当者には「故障しない限りはこのままの形状でいこう」という了解ができたのだという。 このような生産環境から生まれるニューメイクスピリッツは、比較的オイリーで香り高い酒質を持っている。そのほとんどはバーボン樽で熟成されるが、一部にはシェリーバットで熟成されるものもある。プルトニー蒸溜所にある5軒の貯蔵庫には、30,000本までの樽が収容できる。 プルトニー蒸溜所の蒸溜所長は、マルコム・ウェアリングだ。生まれも育ちも生粋のウィック人で、もともと造船技師として働き始めたが、1990年にプルトニー蒸溜所の一員になった。あらゆる生産工程の現場を経験して副蒸溜所長となり、2000年にプルトニーの姉妹蒸溜所であるノックデューに蒸溜所長として赴任。その6年後の2006年8月、生まれ故郷のウィックに戻ってプルトニーの蒸溜所長に就任したのである。そんなマルコムが、蒸溜所の現在について教えてくれた。 「蒸溜所で最近変わったことといえば、新しい糖化棟を建設したこと。2016年から6槽の新しいステンレス製ウォッシュバックを導入しました。オープンしたばかりのテイスティングルームもあって、ビジターセンターの体験ツアーに含まれていますよ」 さらにマルコムは、自らも愛してやまないウイスキーについて語ってくれた。 「オールドプルトニーは、このウイスキーがつくられるケースネス郡ウィックの土地柄を完璧なまでに体現した味わいが魅力。力強い酒質ですが、繊細な柔らかさもあります。海風のような塩気を感じながら、フローラルなエステル香も華やか。心地よいドライなオーク香もしっかりと兼ね添えています」 プルトニー蒸溜所では、ビジター向けにツアーやテイスティングも提供している。歴史あるウィックの町を訪ねたら、ぜひ立ち寄っていただきたい。
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